2023年度中学入試合格体験記

2023年度中学入試に合格した卒業生と、その保護者の方々の声をまとめました。
毎年、大人の添削も宣伝用のフォーマットもなく、ほぼそのままの状態で載せています。 そのあたりも含めてお読みいただけるとありがたいです。

Aくんより 慶應義塾中等部進学

僕は3年の冬に入塾した。その頃は毎日遊びとラグビーのどちらかしかしていなく「勉強って何?」みたいな感じで、明らかに周りよりも勉強ができず、必死に周りに追いつこうと思い各教科の先生が言ったことをそのままやっていた。そのおかげなのか4年から5年の途中にかけて成績が伸びていた。しかし4年から本当は始まっていた算数の復習ノートは4年の頃はほぼやらず5年になってからも一度成瀬先生に注意されて少しの間復習ノートを続けた。その成瀬先生に注意された頃の模試の成績はそれまでとはあまり変わらず悪くはなかった。だから注意されてしばらくたった時には「復習ノートやってなくても十分点数取れているからまあやらなくていいんじゃね?」と思ってしまい、結局復習ノートも続かず、その努力を長く続けることも出来ないクソガキのまま6年になった。

6年になり最初の方は自分の実力は上がることも下がることもなく、ずっと偏差値60前後を行ったり来たり。でも夏期講習を過ぎて少し経った頃に復習ノートをたまにしか出さなかったことが響いたのか模試の成績が下がった。そこで少し焦って復習ノートを出し続けた。そのおかげでその次の模試の成績はまたいつも通りに戻った。その次も模試の結果は良く、そこで調子に乗ってまた復習ノートを出さなくなった。そのせいで最後の模試の結果もいまいちになった。そしてそのまま冬期講習に入り授業もいよいよ入試に近づいてきたような感じがした。そしてその授業では復習ノートを出さないとヤバいと思い、出し続けた。そして調子が良くても努力を続けた。

しかしそんな中で年末から正月にかけて体調を崩し勉強することが嫌になってしまった。そして調子が悪いまま迎えた栄東A。なんとか○はもらえたもののその次の栄東東大特待は×。しかも算数が150点中33点まさかの22%。ここでようやく自分のダメさに気づき立教新座に向けて努力をした。そして立教新座は○。安心したが努力は続けた。そして迎えた2月1日の第一志望校。行く前から調子は良く試験の手応えもあった。しかし算数でまさかの凡ミス。他の教科も思っていたよりも全然出来ていなかった。そんな中で迎えた2日の本郷。凡ミスもしていなく、思っていたよりも少しいいくらいの結果だった。そしてその夜に本郷○の結果を見た時にはとても嬉しかった。その次の日3日の慶應中等部は安心して臨むことができた。帰っている途中に1日の第一志望校の合格発表。凡ミスもしたがまだ合格の希望を捨ててはいなかった。でも結果は×。とにかく悔しかった。そのまま鼎に帰って中等部の問題を見せ、帰ってから自己採点をした。

自己採点は例年の合格ラインよりも低い。どうせ中等部も落ちたと思った。もう開き直って本郷に行くつもりで見た4日の中等部一次試験結果発表。まさかの○。嘘だとしか思えない。そんな中でもしっかりと切り替えて5日の二次試験に臨んだ。家での面接練習では、思っていることを言葉にして言うことが全くできず不安だった。5日の本番。不安でいっぱいだったが、練習以上にうまく答えることができ良かった。親は自分が答えたことがどうだったか不安で仕方が無かったようだったが僕は受かったと思っていた。そして6日の結果発表。合格者のページに…ない! と思ったらすぐ下の補欠のページに自分の番号が!! 繰り上がりも期待するが来ないかもしれない、微妙すぎる。僕は何も考えずに7日は学校に行った。帰ってくると繰り上げ合格の電話があったと聞き嬉しかった。 この受験で大変なこともたくさんあり勉強が面倒だと思うこともたくさんあった。でも勉強することを嫌いになったりすることがなかったのはこの塾、鼎進学教室のおかげだと思う。そして先生たちに厳しくされることもあったが、努力を続けることも出来なかった僕にたくさんのことを教え、人としても成長させてくれた鼎進学教室の先生たちが大好きだ。

Aくんのお母さまより

2月7日午後14:30過ぎ、1本の電話。
「慶應中等部へ繰り上げ合格のご連絡です。お子様のご意思をお聞かせ願いますか?」 繰り上げ合格の電話連絡をもらった時の言葉は今でもずっと耳に残り、震える声と涙声になりながら返事をした事は一生忘れることはないと思います。 2/3に受験をし、合格までに4日間も要した慶應中等部の受験。一次試験がありその後は二次試験の実技と親子面接。とても長く緊張しっぱなしの4日間でしたが、面接で堂々と答えられたり、少し面接官をクスッと笑わせる事も出来たりと逞しく立派な息子の姿を見る事ができ、あの瞬間を一緒に経験できたことは一生の思い出となりました。

中学校の部活でラグビーをやりたい。その思いで始めた受験への道。それまでは遊び+ラグビーの生活で、勉強なんて二の次。勉強なんて幼稚園生の時から続けていたチャレンジしかやっていませんでした。(しかも毎日やらないからずっと溜まっているし)。そんな生活から遊び+ラグビー+勉強の生活へと変わっていきました。 ラグビーは絶対辞めたくないという本人の意思があったので、そこは本人の希望通りにギリギリまで続けさせました。塾での膨大な宿題、復習、週末の週テストとラグビーとの両立は体力的な部分でもしんどかったと思います。 復習ノートも他の子の半分くらいしか出していなかったみたいだし。(個人面談で成瀬先生によく言われていました...)でも途中で投げ出すことも、「塾を辞めたい」や「両立は無理だ」とも言わず前を向いていました。 ラグビーを続けながらの勉強でも鼎の先生はずっと応援してくれていました。怪我だけはしないようにと。 6年生になりいよいよ勉強1本に集中しなければいけない時がやってきました。本人はキャプテンもやっていたのでその責任から夏合宿までは絶対に行って、それ以降は勉強に集中する。ということで夏期講習の合間をぬって合宿にも参加しました。

秋以降は勉強に集中できたのか、模試の結果は上がったり下がったりしていましたが、合不合以外のサピックスの模試でも早稲田アカデミーの模試でもそこまで悪い点を取ることなく平和に時は過ぎていきました。 受験期に入るとまだまだコロナ禍だったので絶対に体調を壊してはいけないと予防はしていましたが、やはりここは冬の最中…まさかの年末に家族全員で体調を壊し、年明けの正月特訓も3日まで休んでしまう事態。 ここからが結構大変で、今まで突っ走ってきた中での体調不良という事で本人のやる気と集中力が一気に急降下。塾から早めに帰ってきても勉強は全くせずただひたすらゴロゴロしていました。勉強やらなくていいの?あなたが行きたい学校を受ける周りの子達はもっともっと勉強しているよ?と思わず口に出しては、塾でやっているから大丈夫!!と反論され喧嘩になることもしょっちゅうでした。 やる気と集中力欠如のまま迎えた1/10の栄東A日程は、なんとか合格はしましたが1/12の東大特待の結果は不合格。2/1以降受ける本命校の全ての偏差値が高かったので、本人も結果を見て「やば。二割二分しか取れてないじゃん。。算数マジでやばい。。」と焦っていました。私もこのままだと全落ちの可能性があるかもしれないと一気に不安になり成瀬先生に相談をしました。 成瀬先生も体調を崩してからの彼の集中力の低下を指摘してくれました。(やっぱり先生も思っていたんだ。と共感できて心強かったです。) 先生はちゃんと本人にも色々伝えてくれていたそうで、指摘をすればきちんと良い方向に正す力がある子だから大丈夫と言ってくれました。そして1/25にも立教新座の試験を控えていたので、その結果を待ちましょうと。そこで万が一落ちたらまた考えましょうと言ってくれたので、そこは先生を信じて私はひたすら子供のサポートに徹しました。

1/12〜1/25までの約2週間は本当に長くて、学校にも行っていたのでまた体調を壊さないか不安でした。しかし算数二割二分事件以来、少しやる気が戻ってきたのか、お迎えの車の中でも口数が増え、どこの学校の過去問を解いてきたかなど話してくれるようになりました。(本当に1/12前までは葬式のような車内でしたから)。ここが息子のターニングポイントになってくれたのかなと思います。 立教新座の結果も無事に合格ができ、2/1から三日間続くチャレンジへの挑戦権を獲得しました。 2/1第一志望校の試験日は5時台に塾に行き、算数の問題を少しやって頭を慣らし向かいました。学校に送り息子の後ろ姿を見届けた時は、ここまで無事に迎えられた事への安堵感で自然と涙がボロボロ出て泣いていました。(今思い出すととても恥ずかしいですが、安心した証だったのでしょうか(笑)) 第一志望校は不合格で残念な結果となってしまいましたが、2/2は合格。ラグビーが強く、尚且つ成瀬先生推しの学校だったので、本人も親もここでいいかなと思っていました。しかし2/3に大チャレンジとして慶應中等部も残っていたので、最後までしっかりやり遂げようという事で試験に臨みました。 中等部の試験の自己採点では本人の手応えも無く「無理だろうね。」なんて言いながら本人には申し訳ないですが、完全に諦めて2/2に合格を頂いた学校への入学手続きと、家族では受験終わった打ち上げまでもやっていました。2/2に合格を獲得していた安心感が結果として良かったのでしょうか。中等部の一次試験でまさかの合格をしており、半日で練習した親子面接も見事にやり遂げ、繰上げではありましたが、無事に中等部への合格が決まりました。

受験の成否は塾と本人の相性でほぼ決まるといいますが、まさにその通りでした!勉強勉強の頭でっかちな子でなく、個性豊かな先生のもと、飴と鞭をもらいながら人間としてこの3年間大きく成長し勉強の楽しさを教えて頂いた塾でした。塾選びは数箇所回りましたが、「母ちゃんこの塾なんか面白そうだよ?!僕塾行くならここが良い。」と本人の直感と、鼎に娘さんを預けていた私の友人への信頼のもと通わせたことに間違いありませんでした。 勉強が苦行ではなく楽しいと思わせてくれ、ラグビーを応援してくれた先生方には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。塾のよきライバルでもあり一緒に戦い抜いた仲間=お友達との出会いも幸せだったと思います。行く学校は違うけど、みんなでまた鼎に集まり、来年の受験生を応援してあげてほしいと思います。 受験では合格が一旦ゴールとなりますが、これから入学とともに新しいスタートを迎えます。彼の勉強とラグビーの両立もまた始まります。引き続き、困難にも辛いことにも直面することもあるかもしれないですが、受験勉強を鼎でも頑張れたのであれば、それが糧になると思います。 最後になりましたが、3年間お世話になりました。本当にありがとうございました。

Bくんより 海城中学校進学

僕が入試で大切だと思うことはとにかく読み間違いをしないことと、切り替えることにつきます。 一月十日栄東のA日程で入試がスタートしました。僕の入試会場は栄北高校で栄東ではなかったですが、人の多さに圧倒されそこからはあまりの緊張で何も覚えていません。そして二日後の東大選抜、算数でやらかし、3割しかとることができませんでした。まあ算数が出来なかったら落ちますよね。 僕はもともと緊張しやすく乙女と言われていました。さらに不合格に影響されやすく自信を失わないために渋幕を受けずに立教新座を受けることになりました。立教新座の算数は難しく5割弱しかとることができませんでした。もともと難しいことは知っていたため落ち着いて取り組み合格して安心しました。 ここまでの文章は一月の話であり本番は二月です。僕が開成でやらかしたことはうけつがれていくのかな~~~ 僕の第一志望は開成中学校でした。最後の合不合判定も入試の過去問も、得意だった社会以外は勝負にならないぐらい手も足も出ませんでした。しかしあきらめずに毎日過去問やっていたら最後の一週間受験者平均はぎりぎり超えるようになっていきました。

そして当日二月一日早朝鼎に行って最終確認をしました。その時も成瀬先生に熱血指導してもらいました(笑)。朝の通勤ラッシュを避け乗った成田エクスプレスに小学生が一人で乗っていてびっくりしました。今考えると周りを見る余裕があったのかなと思います。 入試本番最初の国語はうまくいき、次の算数は自分が思っている以上に解けて、高得点勝負になると思いました。そして理科も社会もうまくいき、もしかしたら!?という思いがありました。その後鼎にもどり、自己採点を行いました。算数は成瀬先生とやり方が一致し、社会も一ミスか二ミスで済み調子に乗っていたら悪魔が遣ってきました。なんと理科で読み間違い二〇秒を二〇分と勘違いし大問一個をほとんど落としてしまったのです。これを知ったとき僕は泣き崩れました。まさかこんな間違いで落ちるとは思ってもいませんでした家に帰ったらそのまま寝てしまいました。 二日の桐朋は何も覚えていません。ずっと開成の事を考えてしまい集中できていませんでした。受かることができたのはうれしかったです。 三日の海城はとても難しくさらに開成のことをかんがえて全く手ごたえがありませんでした。 最後に鼎はいろいろなイベントがありとても楽しいです楽しみながらも本気で勉強し第一志望合格を目指してください。鼎の先生方、勉強以外の事もいろいろ教えてくれ本当にありがとうございました。

Bくんのお母さまより

鼎での時間を振り返って 部屋の一角にオリジナル教材とテキストを積み上げてみるとそれは息子の背丈を超えていた。その教材は筆圧の強い大きな字から始まり,だんだん小さな字で程よい筆圧で薄く(消しゴムで消しやすい濃さ)シャープペンシルで書かれている。保護者面談で指摘された筆圧が濃すぎることが改善されていく「証」だった。 小学校に入学した息子はずっとサッカーに明け暮れた。学習は学校の宿題程度で読書の習慣は身についていなかった。3年生の2月緊急事態宣言からコロナ禍に突入し生活が一変した。サッカーの練習や試合がなくなった。朝から晩まで公園で友達と遊びまわっていた。4年生6月に全国統一小学生テストを鼎進学教室で受講した。息子が受講している間に保護者説明会で成瀬先生から受験というよりも人生についての考え方に触れた。直感を信じて4年夏期講習を受講した。初日帰宅した息子は「わかるところが全くない」と言った。それから鼎に通い始め,一緒に机を並べて切磋琢磨する友人が出来,先生方や友人の話しを毎回楽しそうにしていた。 反抗期と受験期が重なり家族がしていたことは送迎と弁当作りと体調管理。学習については自分で先生や友人に聞いて解決するように促したが,シャイな性格で最初は質問できずにそのまま課題を持ち帰ることが続いた。やきもきしながらも見守っていた。

受験という挑戦のパートナーが鼎進学教室で本当によかった。息子の負けず嫌いと乙女の部分を絶妙なさじ加減で飴とむちのご指導を承れた。渡邊先生と小町谷先生のご指導で新聞を読みニュースに触れて自分で考えるようになった。成瀬先生のおかげで自分と向きあい逃げないことを学んだ。復習ノート最初は散々でしたがマーベラスのコメントの時は本当にうれしかったのかずっとノートを見ていた。岡本先生のご指導で生活に疑問を持つようになった。 春から中学生。鼎進学教室で学んだことを土台に友達づくりや自分の内面と対話をしていってほしいです。 最後に受験勉強だけでなく丸ごとお世話になりありがとうございました。直感は当たっていたと今も思います。次の世代に応援のバトンを渡す役割を息子は楽しみにしています。サンタやアロハ姿など思いもよらない息子の姿に驚いたりしましたが,日々の先生や友人との会話ややりとりはすべて息子のやる気スイッチをくすぐっていました。最後はやる気スイッチ全開で受験を乗り切ったと思います。6年後また鼎に戻ることを今から楽しみにしている息子です。受験を通してすべての方に感謝をこめて。ほんとうにありがとうございました。

Gくんより 城北中学校進学

僕は4年生の初め頃から通っていました。ですが1組の授業についていけず何となくの日々を過ごしていました。5年生になってからは2組に下がり段々と授業のペースにもついていけるようになり成績も安定していました。10月のテストを受けると先生から1組に上がると言われ初めはうれしかったですが、本当に授業についていけるか不安で家に帰ると今までにない猛烈な腹痛を起こしてしまいました。実際に授業は難しく、速くなり特に算数では自分を隠して分かっているふりばかりをしていました。6年生になってもそれは改善されず時間とお金ばかりを無駄に使っていました。夏休みの直前になると成瀬先生と話し合い2組に下がりました。夏休みでは計算テストで1回も満点を取る事が出来ずに終わってしまい家での勉強もほとんどしないまま大切な夏を台無しにしてしまいました。夏休みが終わるとそのことに危機感を感じるどころかもっと生活習慣が悪くなっていきました。家から帰るとアニメを見て遅い時には1時を過ぎて2時になる時間になってさすがにヤバイとおもいあわてて寝ていました。そのせいで授業では居眠りを毎回のようにしていました。

理科は宿題をやらず岡本先生に怒られ、算数は復習ノートを出さず、社会と国語はほとんど寝ていました。それで成績が下がっているのにテストの結果ばかり気にしていました。そのことを母が先生に伝えると、11月の面談で三者面談になり、成瀬先生に「そのままで本当に受かるつもりがあるのか?」と2時間近く言われ、自分の情けなさを感じました。そしてもう夜更かしはやめようと思いました。そう思ったのがもう11月も終わるころでした。そこからすぐにコロナにかかってしまいました。しかしそのおかげで寝る時間が増え生活習慣が直ってきました。そこからは1月受験に向けてやっとまともに勉強をするようになりました。はじめは西武文理から入っていこうという話でしたが、城北を本気で受かりに行くなら大宮開成から受けようという話に変わりました。ついに初めての入学試験がやってきました。大宮開成に行くまで緊張していたせいか復習ノートを一心不乱に見ていて、校内に入ると「意外と模試と同じだな」と思い少し安心しましたが、自分の分からないところで緊張していたのか初めの二教科の国語と算数を大失敗して二教科を終えた後には絶対に落ちていると思って半泣きになっていました。ですが前日に成瀬先生から最後まであきらめるなと励まされたことを思い出し理社に向かいました。半泣きした後の理科と社会はリラックスして臨むことができましたが結果は不合格でした。そして2日後に西武文理を受けてしっかり合格を取って2回目の大宮開成に向かいました。学校に向かう電車の中では参考書は見ず、ずっと目をつぶり今まで教わったことを思い返していました。すると自分ではわからない緊張もなくなり合格できました。

1月は学校には3日程度しか行かず鼎で城北の過去問をやっていました。国語は本番の1週間前くらいになっていきなり点が上がり、理科は計算問題からいつまでも逃げていたら受からないと言われたのでやっと計算問題と向き合いました。そして2月の1日城北を受けました。校内に入ると渡辺先生が待っていてくれていて心配や不安が吹き飛びました。そして鼎に帰り自己採点をしてあとは合格発表を待つだけというときには算数でしくじってしまったので落ちたと思っていましたが、それ以外の教科が良かったので一番ないと思われていた僕が一日で第一志望校に合格しました。その時は信じられなかったですが後々実感がわいてきてうれしくて思い出すたびに泣きそうになってしまいました。もし城北が受かったら次は本郷を受けようという話があったので本郷を受けましたが不合格でした。しかしどこに受かっても城北に行こうと思っていたので二月の受験は二日で終わりました。 鼎の先生方にはお世話になりました。ありがとうございました。

Gくんのお母さまより

4年生の最初、自宅での週テストは泣いて途中部屋を飛び出し、宿題は一人ではとてもこなせず、『辞めたい、塾を変えたい』と悶々としていた息子。ところが、冬期講習で友達ができてからは一転して鼎で続けたいと言うようになりました。5年になると、苦手科目をカバーするため勉強の時間配分を自ら意識するようにもなり、その成長ぶりに驚かされました。しかし、5年の後半から授業の進度難易度とも上がり、先生の解説を聞いて理解し書き留めるという一連の事についていけなくなりました。ならば授業後に質問に行けばいいと思うのですがそれができず、結局6年後半までズルズルと解決できずに時間が過ぎていきました。自ら突破してくれる事を根気強く見守る覚悟でしたが、当の本人は現実逃避からか勉強以外の理由で夜更かしするようになりました。睡眠不足からさらに成績が下がっていく状況となり、最終的には鼎の先生に包み隠さずお伝えし、先生から直接本人に厳しいご指導をいただくこととなりました。そこで本人はようやく目を覚ましたようでした。

コロナ感染で最後の合不合は受けられず、少しの自信を回復するチャンスもないまま1月を迎えました。親としては、ここまで来たからには完走だけでもさせようという気持ちでした。1月は過去問に取り組み一喜一憂したことと思いますが、どんな点数であっても下を向かず、少しずつ打率があがり元気を取り戻していったように見えました。最後は希望した学校へ合格でき、何よりこの受験を通して、上手くいかない時の自分を知り、向き合う強さを少しだけ身に付けたように思います。 厳しく鍛え、根気強く支えてくださった鼎の先生方に感謝しています。ありがとうございました。

Jくんより 世田谷学園中学校進学

ぼくの中学入試は、本当に最後の最後まで決まらず、なさけなかったです。 しかし、悔いは無いとは言いきれませんがほとんど悔いがない中学入試でした。2月1日・2日の桐朋がどちらとも不合格で絶望的で、もう立ち上がれなくなり、次の日をむかえたのです。 2月3日、本来なら、成城か暁星に行く予定でしたが、4日の世田谷学園に合格するため、ここ(鼎)に来ました。でも令和5年の問題の国語を実際にやってみると、まったく終わらず、本当に合格する気がないというほど、えげつない状態となっていました。さらに、その時にメガネなしでは文字がほとんど見えていないということに気付いてしまったのです。こんな状態で2月1日・2日に行こうとした自分が、バカバカしく思えました。そんなふうに、2月3日をすごしました。 2月4日で世田谷学園に行くまえに、朝(鼎)にきた時、先生たちがぼくのメガネがないことに気付いてくれたのです。もし、気付かずに行ってたら、本当にひさんな結果になっていたかもしれません。そして、入試が終わり、合否を確認する時がやってきました。一秒がとてつもなく長い時間だと思いつつも、すこしは焦っていました。結果は無事合格でした。その一しゅんは、ほんの短い時間でしたが、死にそうなぐらい苦しかったです。

こうして、ぼくの中学入試は幕を閉じました。今でも、世田谷学園に行けることがうそかまことかわからないままでいますが、ただ一つ絶対に言いたいことがあります。この長い間いろいろな経験と数々の試練を見守ってくれた先生がた、そしてなにより、どんな時でも支え、サポートしてくれた家族に、感謝をしたいと思いました。

Jくんのお父さまより

「うちはそういう子のための塾ですから」 これは初めての面談時に、勉強をやる気のない彼について相談した時に渡辺先生からいただいた言葉です。大手の塾では内気でやる気のない彼では到底ついていけないし、まずは楽しく勉強してほしいと思い、3年生の2月から鼎に入塾しました。その時はまさかどの進学塾よりも熱心(ハード)な塾だとは親子共々知る由もありませんでしたが…。

4年生、5年生の頃から組分けテストの成績は鳴かず飛ばずで、当時の志望校の偏差値には遠く及ばない状況でしたが、親としてはいつかは成績が上がってくれるだろう、とどこかで全く根拠のない期待をしていました。 6年生になるとほとんど毎日授業があり、学校生活との両立が厳しくなってきました。それと同時に反抗期も本格化し親子・兄弟喧嘩が絶え間なく繰り広げられていました。家庭環境は正にギスギス状態。中学受験本などに書かれている「合格する理想の家庭環境」のような要素はほとんどありませんでした。

そんな中でも受験校だけは本人の希望を尊重してあげたいと思い、説明会やオープンキャンパスを元に彼が選んだのは自由な校風のA校、生徒さんが親切だったB校、校内環境が素晴らしいC校でした。彼の第一志望はA校、第二志望はB校でしたが、組分け・合不合テストの結果が出る度にどちらにも到底届かない成績に彼の自尊心はどんどん削られていきました。夏期講習では朝から晩まで勉強漬けの毎日となりましたが、なかなか学力の向上が実感できずに休んでしまうこともありました。そのような状況で9月の合不合の結果が良くなるはずもなく、期待していた成績UPどころか、7月より10ポイント弱偏差値が下がってしまい、絶望状態となっていました。10月、11月で少しずつ成績を取り戻しましたが、結局12月になっても志望校偏差値はおろか、7月時の成績にも届かずに最後の模試が終わりました。 このような状況の中、我々親の不安もピークとなり、2/1の受験校変更について先生に相談しましたが、「四谷大塚中学に入学するわけではない、彼はA校の入試問題に対応できる力はある。妥当な併願校も組まれている。この段階で受験校を下げると今後ズルズルと成績も下がってしまうので変更はしない方が良い」と心強いアドバイスをいただき、受験校は変えずにラスト1ヶ月の受験対策に臨むことになりました。

1月の埼玉受験を迎え、所謂お試し受験の初日。受験会場に入ったところまでは普段の模試の時と変わらない様子でしたが、試験を終えて会場から出てきた時のテンションはどん底。何を話しても返答しない状態で、しまいにはボロボロ泣き出す始末。落ち着いた後に話を聞くと、過去問より問題が難しく、頭が真っ白になってしまったとのこと。鼎に帰った後の自己採点結果はもちろん悲惨で結果を待つまでもなく、不合格を確信しました。同校2次試験のリベンジの前に別の受験で特待合格をもらうことができたので、少し自信を取り戻すことができました。気を取り直して臨んだ2次試験では普段通りに出来たらしく、すっきりとした顔で試験会場から出てきました。しかし、結果はなんと僅か1点差で不合格。家族全員で落ち込みましたが、①頭真っ白、②特待合格、③1点差不合格と1月受験で様々な経験ができ、この結果をポジティブに捉えるようにしていました。

そしていよいよ2月の本番。2/1、2/2はA校、2/2の午後にはC校を予定していました。どちらの日も早朝から鼎でウォーミングアップをし、万全の状態で臨めたと思いますが、初日は力を十分に発揮できず、残念ながらA校1次は不合格。2日目のA校2次はある程度の手応えを感じた状態で試験を終えた様子で、そのまま気分良く午後受験のC校へ移動。そして、その日夜の結果発表でC校の合格を知り一安心。この段階で、2/4のB校に照準を合わせるために2/3は予定していた学校を受験せず完全にB校対策日としました。と同時に2/3はA校2次の合格発表日でしたが、結果は残念ながら不合格。親の方は本人憧れのA校の完全不合格決定にショックを受けていましたが、その頃鼎ではそれと同じくらいインパクトのある事実が発覚していました。何と目がよく見えないということ。まさに「今更!?」でした。1年以上前に学校の視力検査でひっかかり眼鏡を購入したのですが、その後面倒臭がってほとんどかけていなかったその眼鏡がまさか重要アイテムになるとは。。。実際の効果は定かではありませんが、眼鏡をかけてからは視界も気持ちもスッキリしたようで、B校対策も思うようにできたようです。そして迎えた2/4のB校受験。1点の重要性を知った我々は、気持ちの面でもできる限りのことをしようと本気の想いをぶつけるべく、B校生徒の慣わしである校門での一礼を行い、試験会場に入りました。とはいえ、4日ともなると難易度が上がるB校には合格はもらえないだろうと覚悟し、我々親はLINEでC校入学を見据えた会話をしていました。ただ、彼は諦めていませんでした。試験後には「かなり手応えがある。社会以外は、だけど…」とパーフェクトではないものの自分の実力を出し切れたことに晴々とした表情をしていました。

結果はどうあれ、これで試験終了と決めていたので、4日の晩は家族で打ち上げの意味を込めて外食に出かけました。その時の会話では家族でC校の良いところを言い合い、盛り上がっていました(本人だけはなぜB校が落ちた前提になっているのか、と不満顔でしたが)。帰宅後、合格発表予定時刻前にHPを開いてみると、なんと既に1時間前に合格発表サイトが開いているではありませんか。心の準備ができていない状態で、恐る恐るクリックすると、見慣れないピンク色のバックに「おめでとうございます、合格です」の文字が。もう家中が狂喜乱舞の大騒ぎ、泣いて喚いて喜び合いました。B校の先生から鼎にも直接連絡があったらしく、ギリギリ合格だったと知り、1点の重要性を改めて実体験した受験となりました。 彼が熱望していたA校には合格できませんでしたが、同じくらい憧れていたB校に合格することができ、不思議なことに親子共に悔しさよりも嬉しさを数倍大きく感じています。ご縁とはこういうものなのだと思います。合格証を受け取った彼の何とも嬉しそうな顔を思い出すと今でも胸がグッと熱くなります。

偏差値による学校の棲み分けは本当に分かりやすく、統計的な信頼性も高いと思います。我が家は6年生の後半で偏差値表に翻弄され、受験校の選定で最後まで気持ちがぶれていました。今になってようやく思えるようになったのは、偏差値に”過度に”捉われることなく、自他共に共感できる、その子に合う受験校を決めることが本当に大事だという事です(2,3校あると良いと個人的には思います)。それがハマると土壇場の苦しい時でも「この学校に行きたい」という思いが、偏差値とは別次元の本番力、相性、運などの力を発揮させるのだと思います。 彼の成長を一番近く、そして一番長い時間見守ってくださり、あの頼りなく情けなかった愚息をここまでたくましく成長させていただいた鼎進学教室の先生方に心より感謝しております。この中学入試を通して、我が子が厳しい試練に真っ向から立ち向かっていく姿を見る事ができたのは我々にとって大きな収穫でした。今後の鼎進学教室さんの益々のご発展をお祈り申し上げます。

•横田先生:4年生の時、やる気の出ない彼とどうやって付き合っていけばいいのか相談に乗っていただきました。おかげさまであの時より随分成長しました。
•小池先生:勉強だけでなく、彼の趣味にも付き合っていただきました。先生と話をするのが楽しみだったようです。
•岡本先生:入試後に何度「岡本先生が出るって言ってた問題が本当に出た!!」と聞いたことか。絶対的な信頼を寄せていたようです。
•渡辺先生:きめ細やかで的確な指導のおかげで社会に穴が開くことがほとんどありませんでした。彼の心のオアシスだったようです。
•小町谷先生:ずっと苦手にしていた国語ですが、秋以降からの補習で自信をつけていったようです。彼の入試の問題用紙の書き込みを見て、本当に成長させていただいたと実感しております。
•成瀬先生:彼の良いところにも悪いところにも真正面から向き合っていただきました。あの復習ノート作りスキルは必ずや今後の彼の人生で役立ち、一生物の財産になると思います。

Nくんより 成城中学校進学

僕は、3年生の春から鼎に通い始めました。3年生の頃は、授業が楽しく、あまり真面目にやっていませんでした。4年生になると、理社が加わり、都道府県庁所在地を漢字で書くことに一苦労。頭がとんがっている先生に、「ひらがなで逃げるな!」といっぱい怒られました。5年生になると、算数が成瀬先生になり、授業のたびに「やるべきことをやっていない」や、「復習する問題数が少なすぎる!」と言われ続けました。それもそのはず、復習ノートは1週間に3〜4問ほどでしたから。一方で、社会では、ひらがなで逃げないようになり、得意科目となりましたが、理科の知識が全然ないことが課題でした。組分けテストでも、算数と理科が足を引っぱり、偏差値はいつも50ちょいでした。6年生になると、算数の成績が悪化。いつクラスが変わってもおかしくなく、合不合で算数で偏差値37を記録、夏期講習以降は2になりました。理科の復習ノートも続かず、知識も入らず…。全教科でケアレスミスがひどい…。

そして迎えた1月入試。大宮開成は○、立教新座では×。立教新座の日は大寒波到来とは聞いていたものの、よゆうぶっこいていたら、算数の試験中、頭がすごく痛くなりました。このとき、防寒対策の大切さを実感しました。立教新座から帰ってきたあと、次々見つかるミス。もう終わったなと思ったら、やはり結果は×でした。でもこのころから、やっと算数のやるべきことがあってきた気がしました。僕は、第一志望校が武蔵、第二志望が城北だったので、記述の練習をしつつ、苦手であった知識を入れ、理科の復習ノートも昔と比べてやるようにしました。 2月入試では、武蔵×、城北は2日、4日ともに×、2日午後の穎明館は○、海城は×、5日の成城で○が来ました。成城の合格発表は20時だと思っていましたが、本当は19時30分であり、最後までマヌケだったなと思いました。 この4年間、僕を支えてくれた先生方と、お弁当を作ってくれ、お迎えもしてくれた両親には感謝でいっぱいです。鼎で良かったと思っています。本当にありがとうございました‼

Oくんより 成城中学校進学

僕は4年生から鼎に入りました。4年生の頃はたった2時間の授業に長いと思っていて、このままで5年生以降大丈夫なのかと(自分で)思ったことがありました。そして5年生になって、クラスは5-2だと聞いて一番下のクラスではなくほっとしましたが、授業についていけずクラス落ちしました。今思えば5年が一番つらかったけど、僕の好きな歴史の授業が聞けなくなるので続けていました。そしてそのまま2に戻れず6年生に。6年生では復習ノートの出来がいい時もあったり、悪い時もあったりの繰り返しでしたが、少しずつ分かることが増えて鼎がだんだん楽しくなってきました。

そしてやってきた1月入試。10日は大宮開成を受けましたが、僕の得意教科の社会の出来が悪かったので、「ヤバイ、落ちたわ」と、12日の西武文理を覚悟していました。ところが、10日の大宮開成は合格。しかもT合格。目を疑いました。この合格で自信がつき、25日の立教新座も〇を貰いたいと思いましたが、入試の世界は甘くありませんでした。立教新座は×で1月入試終了。

そしてついに迎えた2月1日城北。結果は×。第一志望校の不合格はものすごく悔しくて夜は立ち直れず、悲しみでいっぱいでした。翌朝には立ち直り、再び2月2日城北に。そして終わった後は頴明館に行きました。国語が上手く出来なかったので、「もしかしたら落ちるかも」と思っていました。城北は残念ながら×でしたが、頴明館は翌朝結果を見ると合格でした。でも、僕はあまり喜べませんでした。第一志望や第二志望に受かったなら相当喜べるけど、まだどちらも受かってないからです。なので、2月3日の成城は何としても合格したいと思い、必死で問題を解きました。そしてあっという間に合格発表の時間に。結果は…合格でした。第二志望の合格はすごく嬉しかったです。4日の城北は×でしたが、成城に受かってよかったです。 何回も鼎を辞めたいと思ったことがありましたが、鼎で学んで良かったです。僕をここまで指導して下さった鼎の先生方、ありがとうございました。

Pくんのお父さまより 成城中学校進学

中学受験は気になっていたけれど、両親とも公立出身、親戚探しても中学受験経験者ゼロ。知らない世界に飛び込むことへの不安、小さくて幼い息子に受験なんて出来るのだろうかという葛藤を抱えたまま鼎に入塾しました。 しかし息子は2時間超の授業に「長い…」、組分けテスト中にまさかの船を漕いでしまう状況。そして「火曜日は鼎に行きたくない(木曜はいいのか…!?)」と言い出す始末。それでも先生方にフォローいただきながら通塾を続け、あっという間に5年生になりました。 5年最初の授業は「楽しい!笑いすぎてお腹が痛い!」と予想外の反応で帰宅。しかし成績は低空飛行のまま、量も難易度もアップした授業についていけなくなり、5年の秋にはクラス落ちしました。 これで奮起してくれればと思いましたが、這い上がろうという気概が見えたのもほんの一時…6年になっても受験学年という自覚が見えないまま通塾を続ける息子に、何度辞めさせようと思ったことでしょう。 本人にも「やる気がないのなら辞めてもいいんだよ」と伝えました。 しかし、「ここまで頑張ってきたのに何故そんなこと言うんだ。最後まで頑張りたい。」という息子の言葉に、最後まで鼎にお世話になることを決心しました。

6年の秋に行った城北の文化祭で「ここに行きたい」と目を輝かせた息子。本腰を入れてくれるかと期待したものの、復習ノートも相変わらず質・量とも足りないと言われる始末。 しかし、これは息子の受験。「本人が向き合わなければ意味がない」「余計な口出しは百害あって一利なし」と考え(某漫画で親子バトルが時間の無駄と書いてあったことに納得)、息子の状況が極力目に入らないよう意識しました。(目に入ってしまうと、言いたいことが無限に発生…)

迎えた2月1日。城北の不合格は鼎で知りました。 皆の前では何でもないように振舞っていたようですが、一歩教室から出た瞬間、悔しさが溢れ出ました。それでも「まだまだ!次いくぞ!」と気持ちを奮い立たせて帰宅しました。 2月2日。この日も朝5時に起き、鼎に寄ってから城北の試験へ。終了後の表情はガチガチで、「難しかったんだな」と悟りました。しかし、午後受験の学校へ向かわなければなりません。ダッシュでタクシーに乗り、車中でおにぎりを食べ(残りを駅で立ち食い)、中央線に飛び乗りましたが、電車遅延でそもそも試験に間に合うのかハラハラ、本人は「疲れた、気持ち悪い」とぐったりしている…。 「これはまずい」と酔い止め薬を飲ませ、本人のテンションが少しでも上がるよう、好きなお菓子を買い、受験校についてからやったことは体操と深呼吸!!気持ちを切り替え、リフレッシュしてから試験に臨みました。そして怒涛の1日を終えて帰宅したのもつかの間、城北の合格発表。 結果は×…。翌2月3日は第2希望の成城の受験が控えています。2日連続の残念な結果に感情をぐっとこらえ、前を向くしかありません。 第3希望の合格発表は23時。 翌朝、本人に合格を伝えましたが、あれ??反応はイマイチ…。

「やはり第2希望の成城にはどうしても合格させてあげたい」「3日の成城は1日と比べて偏差値も倍率もアップ。2月1日は成城から入るべきだったのではないか」「そもそも受験校の選定はベストだったのか?」「今日の試験は疲れがたまって力を発揮できているのだろうか」様々な思いが頭を駆け巡り、不安で押しつぶされそうでした。 3日の夜、成城の合格発表を見て、「よっしゃー!」と飛び上がった息子。「城北を100とするなら90くらい行きたい」と言っていた成城の合格に、これまでの不安が解き放たれ、思わず涙が溢れました。 入塾当初は、週2回の通塾すらままならなかった息子が、6年夏くらいから楽しそうに通うようになり、受験直前には「中学受験なんてやめればよかったと思ったこともあったけど、鼎に行ってよかった。」といつの間にか鼎が大好きになりました。 2月2日に至っては、朝5時起きで午前・午後と受験し、「疲れているだろうから、鼎に寄らず帰るよ」と伝えたのに、「鼎に寄ってから帰りたい」と、結局寄ることに。それだけ先生方の存在が心の支えになっているのだと感じました。 厳しくも楽しく、そして力強く息子を導いて下さった先生方には本当に感謝しています。ありがとうございました。 「悔しさ」「最後までやり遂げて合格を手に入れた喜び」…両方経験できたことが、これからの人生の糧になることを祈っています。

Qくんより 穎明館中学校進学

鼎の先生方、4年生から3年間ありがとうございました。 僕が、1番心に残っているのは、5年生の算数が上手くいかなかった時のことです。 横田先生が休みの日も鼎に来い!と言われ嫌だったけど鼎に行きました。 僕は行くことはそこまで苦ではありませんでした。その結果算数の点数が上がったこともありました。  入試の当日鼎で計算をしたあと僕は国立から母は立川から電車に乗ろうとしていました。 そこでハプニングがありました。立川で母と出会えず高尾でも会えず、穎明館までバスに乗って集合時間の2分前に着きました。とても焦り、緊張が更に増してしまいました。  6年生の冬期講習は、算数がだめで、いつも隣の部屋で過去問の解き直しをしていました。 本番では算数が1番いい点数で驚きました。  理社テスト大会でのことです。 テスト大会に向けてたくさん勉強をしました。そして7位になりました。そこで先生達に今まで本気でを出していなかったことが証明されてしまいました。少しだけ怒られました。 中学受験を通して色々学びました。これからも勉強は続きます。 勉強では自分を甘やかさない方がいいと実感しました。 鼎の先生方色々ありがとう

Qくんのお父さまより

鼎の先生方、2023年中学受験、お疲れさまでした。うちの息子もなんとか合格を頂き、4月から穎明館中学校へ進学させてもらえることになりました。 うちは4年生から鼎にお世話になりました。大手塾を何校か見学に行き、最後に鼎の説明会に参加しました。新聞のチラシから参加したのですが、生徒数からの合格実績が素晴らしいので、どういうことがあるのだろう?と興味津々で参加しました。その時に、いろいろと話しを聞きましたが、なんとなくピーンと来ました。ここに来ればどうにかしてもらえる、そう思い、早々に入塾をさせてもらいました。入塾テストがなかったので(笑) 息子、もう少しまともに勉強ができると思っていましたが、予想以上に出来ないことが判明しました。入塾してすぐに組分けテストに参加しました。散々な成績で、後ろから数えた方が早く、本当にこれで大丈夫?と心配になりました。それでも、息子は塾に行くのは嫌ではないようで、3年間、行きたくないと言ったことは一度もありませんでした。休んだのも数えるほどでした。

特に算数が散々な成績でそれをみかねた横田先生が、特別に授業のない日に算数を教えてくれました。5年生の時です。その時は週3授業があり、土曜日にアカデメイア、鼎のない日に横田先生が教えてくださり、実質5年生後半から毎日鼎に通っていました。先生方には「本当に塾が好きだね〜」と言われるくらい行っていました。すると算数の成績が少しだけ上向いてきて、少しホッとしました。 6年生になり、本気モードになるのかと思いましたが、そうでもなく親はもどかしくなりました。成績もあまり変化なく、どうなるのか?本当に心配でした。あっという間に夏期講習が終わり、ついに決戦モードか?、、、でもなくどんどん月日が経過しました。

しかし、鼎の本当にいいところは子どもたちに対して、一人の人間として接してくれることです。まじめにやらない時には本気で叱ってくださるし、楽しむ時には一緒にとことん楽しんでくれるところです。息子は野球とバスケットが大好きなのですが、息抜きは先生方とその話をしてリフレッシュしていたようです。 正直、親としてとても手がかかり勉強に関しては問題の多い息子でした。しかし、ここまで受験生として育てでくださったことに先生方に心から感謝しております。これからも鼎進学教室が末永く続くように陰ながら応援させていただきます。先生方本当にありがとうございました。

Sくんより 穎明館中学校進学

僕は最初あまり勉強に興味を示さなかった。塾に通う前まで入試などあまり耳に挟んだことがなく、自分が六年生になった後どれだけ苦労するのかが分かっていなかった。 鼎進学教室に入ってから自分は変わるのかそう思って授業に臨んだ所、そこは他の塾とは違う教え方、そして学び方があった。 算数では、普通の塾では教えないような問題への姿勢を教えさせられました。例えば曲線を見たら中心に向かって線を引く。線は接している所から引くなどと、自分がもし鼎進学教室に通っていなければあきらめていた問題を解けるようにしてくれる姿勢をくれました。この問題への姿勢があったこそ、今までは落としていた問題が入試で解けるようになっていたと思います。

国語では、あまり点が取りにくい教科だと僕は思っています。けど、文章に書かれている文に線を引く、選択肢は間違っている所に線を引くなどということを問題を解いている時にやることによって、初めに比べては良くなっていると思いました。 社会では、あまり憶えていることが難しくそして他の知識と混ざりやすい知識を面白い覚え方で教えてくれたり、自分の経験からして、三秒〜五秒考えていてわからないものは飛ばすなどという戦略を教えたりしてくれました。これにより、ちょっと手を付けられていられなかった問題に手が付けられる様になりました。 理科では、この4教科の中では一番苦手だと言っても過言ではありません。知識的の問題はそんなに取れないってわけでもないけれど、水溶液の計算やてこなどの計算型が苦手なのですが、どの問題にもそれなりの対処法があるので、その対処法を使うことによっててこの問題の計算問題の正解率が高くなりました。 その四教科全ての心構えを踏まえて入試を受けたのですが、第一志望は落ち結局第二志望に受かったのですが、第二志望も受かるかどうか不安が多かったので、とても驚きました。なので、復習ノートなどを最後まで見直し、あきらめないことが大事だと思いました。

Sくんの保護者さまより

鼎受験を通じて得た成長(人生の合格体験記)
今回の受験を通して、塾では、志望校に合格するということの他に、成長していく過程における殻を1つ2つ破ることができました。それは大きく本人の自信に繋がり、これから中学・高校そしてその先の人生を送っていく上で、大切なものになるかと思います。そのような教育をしていただき、とても感謝しています。 我が子は、非常に大人しくネガティブな性格です。決められた事や指示された事は、そこに意味があるかないかの理解もせず、中身がなくてもやります。自ら考えることはなく、決められた事を淡々と行います。服は、棚にしまってある一番上のものを取り、何も考えず着ます。その結果、1日おきに同じ服を着ています。同じクラスの子に、「毎日同じ服を着ているね。」と言われて初めて気付きます。 勉強については、授業の内容が、右耳からはいって左耳から7〜8割抜けていきます。自ら手を挙げて発表することはありません。宿題は、指示されたら中身がなくてもとりあえずやります。その結果、授業にもついていけなくなる事があったり、テストで点数が取れなかったりし、自信を失い、出てくる言葉は「どうせやっても駄目なんだ。」等というネガティブな言葉ばかりです。

受験へ向け塾に通い始めたのは小学校4年生でした。大手の進学塾です。入塾当初は、偏差値が55ありました。内容が難しくなっていき、量も増えてくると、組み分けテストを受ける度に、偏差値が下がっていき、5年生になる頃には、40を切るまでに下がってしまいました。この間に何度か塾との面談もありましたが、「頑張っている。これからです。」というような話ししか聞けませんでした。宿題も、量が多く、全てやってはいるものの、そこに中身はなく、ただこなしているだけという感じになっていました。そこを指摘しても、解決策は塾からは見いだせず、知人の紹介で鼎進学教室に転塾しました。 転塾した当初は、慣れるまで時間がかかり、今までと変わらぬ塾生活でした。算数の復習ノートの意義も理解していないことから、何となく決められたことをやっているだけで、中身がないものでした。しかし、先生は根気強く指導し、決して見捨てはしませんでした。社会では、「ここでは、間違えても誰も馬鹿にしないし、恥ずかしいことではない。もっと自分を出せ。もっと自分を変えろ。ごまかすな。」等と言われ続けました。国語では、どんな小さなことでも、褒めて頂き、本をプレゼントしてくれたりし、国語力を上げるきっかけを作ってくれました。

ネガティブで消極的な性格の為、非常に時間がかかりましたが、少しずつ上向き、6年生の夏を過ぎたあたりから、基本的なことは理解し、問題も解けるようになってきました。社会等は、随分と細かい部分まで覚え、様々な部分とリンクする形で理解することができるようになっていました。6年生の12月最後の合不合格テストと最後の首都圏模試では、志望校の穎明館の合格率が90%に達しました。 志望校ですが、本人の性格と学校の面倒見の良さ、校風等から、偏差値の現実を考えて穎明館とすることにしました。いくつか学校見学へ行き、城北中学校へ行きたいと本人は希望しました。先生は、ダメだとわかっていても、行きたいという学校に挑戦させたいと言ってくれました。

2月1日に穎明館の合格を取ったら、2月2日と4日に城北中学校へ挑戦するという方向に決まりました。 2月1日、直前の最後の模試では90%の合格率だった穎明館ですが、落ちてしまいました。受験日当日は、がちがちで、ものすごく緊張していました。「落ちたらどうしよう、だめかもしれない。」等とネガティブな発言ばかりでした。 2月2日は、穎明館の午前と午後を2回受験しました。2日の朝、受験前に塾へ行った際、気合を入れてもらったと言っていました。そして、筆箱をあけ、先生の写真が入った名刺をお守りとしてもらっており、それを見せてくれて笑っていました。受験前に、手をあたためるというお話でしたが、心が温まったようです。 午前の穎明館を受験し終わって戻ってきた表情は明るく、「できた。」と言っていました。午後の試験も「よく解けた。」と言って戻ってきました。でも、「合格という自信はない。」と、ネガティブな性格は抜けきっていませんでした。その日の19時頃、午前の試験で穎明館は合格でした。

2月4日に城北中学校の受験が決まり、そこからの姿勢に変化を感じました。何も言わず、寝ようと決めた時間を越えて勉強をしていました。何を勉強していたかはわかりませんが、決められたことではなく、自らの意志をもって勉強をしていました。今までにはありませんでした。 親としては、城北中学校2月4日は、準御三家を受けるような人が受ける話を聞いたり、倍率も約10倍となっていたり、まず難しいと思っていました。でも、本人は合格の為に、最後は全力でぶつかっていき、今もっている力を出し切ったようです。そこに後海はなく、受験後に戻ってき時は、すっきりした表情でした。結果は不合格でしたが、挑戦できたことで、満足いく受験ができたと思います。各々、色々な受験結果があっかと思いますが、満足いく受験が得られたのは、鼎の先生達のナビゲートがあったからだと思います。 ネガティブで消極的、受動的な性格で、受験には不向きでしたが、見捨てず、根気強く指導して頂き、志望校に合格できました。それ以上に、受験というものを通じ、人として変化を与えてくれました。まだまだですが、この小さな一歩が将来大きな変化をもたらすと感じています。他の塾にはない、熱いものがありました。とても感謝しています。出会えてよかったです。

TOP