2023年度中学入試合格体験記

2023年度中学入試に合格した卒業生と、その保護者の方々の声をまとめました。
毎年、大人の添削も宣伝用のフォーマットもなく、ほぼそのままの状態で載せています。 そのあたりも含めてお読みいただけるとありがたいです。

cさんより 洗足学園中学校進学

私は、四年に鼎に入塾しました。入った頃は、なんで中学に入るためだけに勉強しないといけないのだろうと思っており、成績も偏差値50代後半でした。五年になって算数を成瀬先生、国語を小町谷先生、理科を岡本先生、社会を渡邊先生にクラスを持っていただきました。五年になってからはほとんど50代後半、ぽつぽつ60代前半と少しずつ成績が上がり気味になっていました。そして、自分も良い気になってしまい勉強をおろそかにしたため、成瀬先生に「これだとまずい」と言われました。私もそのことがよくわかっていたから、直そうとしました。 また少しよくなってきた頃、第一志望という概念がわかるようになってきて、第一志望を吉祥、第二志望を洗足、第三志望を浦和明という順にその学校に入りたいなぁと考えるようになりました。

私はそのまま日々よくなったり、悪くなったりしながら算数をキープすることができました。また、国語は初めのころは、何をしていいのかもわからず、『目で見て何となく』で解いていたため、組分けや志望校判定では平均を超えることがなかなかありませんでした。まずは文章の大切なところに波線を引こうと先生のものを見よう見まねでやってみました。線を引き始めた次の個人面談で、「波線は引くのに時間がかかるので実線で引いたほうが良い」というアドバイスをいただきました。それで読むペースが上がり、少しずつ筆者の考えが読み取れるようになっていき、平均を下回ることはあまりなくなっていきました。理科は、六年になってから知識不足が目立っていると言われていたため復習ノートを作り始めましたが、何を書けばよいのか、見た目にこだわりすぎてしまい、なかなか作り進めることはできませんでした。とりあえず計算問題の復習ではなく、知識や記述、図での問題などを復習していました。社会は理屈と一緒に知識を頭に詰め込んでいくことを重視していました。

6年になったところで、第一志望を洗足、第二志望を浦和明、第三志望を鷗友と変えました。そして何度も叱られる中で1月受験を迎えました。 1月受験には栄東のA日程と浦和明の星を受けて両方とも○○となりました。浦和明の星も〇だったため油断してしまい、あまり受験という実感がなくなってしまいました。2月1日に洗足を受けると朝から頭が回らずフワフワしていて結果は×。初めての×だったからかとても悔しく、明日は必ず〇をとってみせると朝から自分の周りのフワフワとした空気をなくし、気合を入れてテストに臨みました。結果は〇。自分の入りたい学校がテストを3回も行ってくれて有難く感じました。〇をとることができたのも鼎の先生方のおかげです。どうもありがとうございました。

Cさんのご両親より

成瀬先生はじめ鼎の先生方には、この3年間、微に入り細に入りご指導くださり心より御礼申し上げます。
両親ともに中学受験組のため娘も同じ経験を、と決めてはいたものの、公文も先取り学習もすることなくのんびりと低学年を過ごしていました。 (親バカですが)娘はとても気立てが良い、真面目で素直な優しい性格です。しかし、受験ではその性格が裏目に出るのではないか、無理やり競争させて性格が歪んでしまわないかが一番心配でした。3年生の秋頃から塾選びを開始し、S塾・W塾・N塾・Y塾とほぼすべての大手塾を見学に行きましたが、娘の美点を活かしてもらえると思えず躊躇していました。その頃、偶然知人より『鼎進学塾が抜群に面倒見がよい』という話を聞き、ビビッときて入塾を決めました。 勉強自体は鼎の先生方にお任せで、理社や漢字・熟語の暗記の手伝いをしましたが、ほぼ自走でした。家に学習机もなく、小さい弟2人に邪魔されるという劣悪な勉強環境でよく頑張ったと思います。根っからのマイペースなのか、模試の際にサイズ&左右違いの上履きを母に持たされても、弟達のせいで当日遅刻しそうになっても成績が変動しない寛容な性格にはいつも感心していました。志望校を洗足学園に決めた後は、自宅でのあまりにのんびりした姿に親がソワソワして時々煽りましたが、どこ吹く風でした。

1月の埼玉受験(栄東A、浦和明の星)も緊張感なく終わり、結果は幸い〇でしたが、そこから普段以上に気持ちの緩みが出ていたように思います。親は内心心配でしたが、鼎での過去問対策で各科合格最低点は超えているという本人の話を鵜呑みにし、直前で親の気持ちも少し緩んでしまったことを猛省しています。 2月1日第一志望の洗足学園受験日の朝も、どこか緊張感がなく、普段の模試を受けにいくような緩い態度だったので不安でしたが、案の定×でした。試験終了後すぐに鼎に向かい、鼎で不合格を伝えられ大号泣で帰宅しました。どう慰めたらよいか、激励してよいのか、どうしたら気持ちを立て直せるのか逡巡を重ねる地獄の一夜。試験当日に結果が出る怖さが身に沁みました。

いつも笑顔の娘が無表情で就寝、翌朝も表情が変わらず心配でしたが、朝食を少しゆっくり食べ、軽く体を動かした後はわずかに笑顔も見え、2日目受験に引き締まった表情で向かいました。幸い合格をいただき、成瀬先生からの電話に家族一同狂喜乱舞し、怒涛の2日間で受験生活は終わりました。 この3年間、成績は緩やかに上昇(入塾時4科57前後⇒最終63前後)し大幅な崩れもなく、本人の精神的なアップダウンもほぼなかったため、巷できくような親子の修羅場はありませんでした(親が時折『大丈夫?』と聞いても『大丈夫、大丈夫』としか返ってこないため看過する日々)。最後の最後でジェットコースターのような思いをするとは夢にも思わず、親として恥ずかしいほど自覚不足でした。本人も1日目不合格になってやっと『真剣になる』ということが身に染みてわかったようで、(何とか合格いただいたから言えることですが…)親子とも本当に良い経験になりました。

鼎の先生方が第一志望校合格への道筋を築いてくださったことは勿論ですが、何より、娘の気質を尊重し可愛がって下さったこと、優しく鷹揚なままの性格で受験を終えられたことを心から感謝しております。また、基礎から発展的な内容までの懇切丁寧な指導、直前の細やかなバックアップをしてくださった鼎のおかげで、もともと受け身であった娘が最後には積極的に行動できるようになったことが一番の喜びです。くれぐれもお体を大切になさり、これからも子供たちの支えとなってくださりますようお願い申し上げます。 以下、これから受験を迎える方の参考になれば幸いです。

●プリント整理について: 鼎生活で一番苦労したのは、プリントの整理です。リュックの中はいつもぐちゃぐちゃ、目一杯すぎて取り出すこともできず…成瀬先生に確認すると『4年は捨てていいですよ。5年から算数だけは段ボールにでも入れておいてください』とのことでした。組分けの度にまとめて処分させていましたが、今度は必要なプリントを持って行き忘れ、度々忘れ物届けに塾に行きました。6年生の分はとりあえず段ボールに入れて(放り込んで)保管していましたが、途中で見返しをしている様子はありませんでした。リュック整理も諦め、体力育成と思い20㎏近くを担いで通わせました。

●参加した学校説明会について: ・鼎(親のみ参加):吉祥女子、成蹊 ・本人+親:洗足(説明会、授業見学会、学園祭、体育祭)、吉祥女子、浦和明けの星 ・親のみ;鷗友、恵泉、晃華、富士見

●受験校予定について: 1月校 栄東A、浦和明けの星 2月1日午前洗足/(午後恵泉) 2日洗足、(3日鷗友 4日浦和明けの星)(5日洗足) *当初の予定。( )は明けの星の結果を見て出願せず

●栄東受験について ・コロナ禍のため受験校が3か所、申し込み順に振り分け。番号が早いと栄東校(エントリー日の14時申し込みでも栄東校でした) ・入試当日は駅から学校までが大混雑、牛歩の歩み。8時10分東大宮駅着⇒8時50分学校着となってしまい、開始前にほとんど見直しできず。 ・当初受験する予定はなかったが、先生のご指示で受験。試験前夜にシャーペンの芯がない、遺言書ノートが見つからない、受験票どこ?…など、大慌てで準備不足が発覚し、本番前の良い練習になりました。

●浦和明けの星について ・受験番号毎に学校内の建物が分かれる。番号が早いほど校門近くの建物。 ・予め解散時間が指定されるが、受験番号順で、早い方が早く解放される。ほぼ学校の予告通りの解散でした。

●洗足学園の入試体験会について ・親向けに受験当日について詳細な説明があり心強い ・入試体験会での問題を参考に、同じ会場で受験生に囲まれて本番のような体験ができる ・親も問題解説をしてもらうことで、学校が何を求めているか肌で感じることができる ・体験会問題と過去問を比較することで、ちょっとした出題変化に気づくことができる 今年の場合は、国語の知識問題が選択式から穴埋め式にかわった、算数の計算問題の一つが虫食い算にかわった、社会で地図から地形を読み取る問題が重視された、などが当てはまると思います。もちろん、鼎の先生は十分に理解されて指導をしてくださっているわけですが、似た問題を出しつつ年々難化する洗足入試を親も理解しておくことはマイナスにならないと思います。

●1月中の様子 1月16日・17日のみ登校、それ以外は学校欠席し、鼎で勉強(9時~20時頃) 1月31日 朝から鼎⇒夕方壮行会(帰宅20時頃) 2月1日 5時起床・朝食⇒朝6時鼎着⇒6時半親と合流し国立駅から出発。試験後鼎直行、20時帰宅 2月2日 前日同様。17時頃帰宅

Dさんより 洗足学園中学校進学

私が鼎に入塾したのは4年生の夏休みです。4年生の頃は英語やピアノ、体操など鼎以外に沢山の習い事をしていたためTHE勉強という感じではなく、「楽しい」という感覚で通っていました。その後、一番上のクラスに上がりました。一番上のクラスで授業を受けてみるとまわりの人が出来るため不安が大きかったです。 5年生のときもたいして得意な教科もなく目の前にある事など算数の復習ノートを黙々とやっているだけでした。そんな中で初めて学校見学、説明会として洗足学園に行きました。私は洗足に行くと強く思えるようになりました。

しかし、成績はたいして伸びることなく5年生は終わってしまいました。 6年生になると合不合判定テストや学校別サピックスオープンなどが始まりました。成績はいつもパッとしない感じが続きました。合不合判定テストの算数は一度も100点台になることもなく、理科は最後の合不合判定テストで平均を下回る点数を出しました。このままではまずいと思った私は特に出来ないと思った単元のプリントをもらいにいったりして知識の穴うめをしました。やっと平均ぐらいの点数が取れるようになりました。 そうして向かえた1月入試。栄東と浦和明の星女子を受けました。栄東は算数と国語が悪かったのにもかかわらず合格。浦和明の星女子は全然点数が足らず不合格。悔しかったです。そこで気持ちが入りこのままでは受からないと思いました。そのまま30、31日をむかえましたが私のひどいあり様に31日も怒られてしまいました。

2月1日、2日は算数でのケアレスミスや国語での選択肢が裁くことが出来ない、理社では勝手にあわてて平均に届かない様でした。3日は鷗友学園を受け×だったが、4日はどこにも受けに行かず、5日の洗足に向けて朝から鼎で準備をしました。国語、算数、理科、社会の細かいところを教えてもらいました。 そうして向えた5日、緊張や不安に押しつぶされそうになってしまいましたが洗足の校門近くで小町谷先生が待っていてくれました。おかげで落ち着いて望むことが出来て良かったです。ドキドキしながら向えた、合格発表。7時過ぎに成瀬先生から電話がかかってきました。最初は声が暗かったため、ダメだったんだと思っていたら、「合格」と言われてびっくりしました。家族みんなでよろこんで、終わったんだという思いとうれしさでいっぱいになりました。 鼎にいるときは毎日楽しかったです。成瀬先生、小町谷先生、岡本先生、渡邉先生、2月5日までいろいろなことを教え、応援してくださりありがとうございました。中学校ではいろんなことに挑戦していきたいと思います。約3年間、本当にありがとうございました。

Eさんより 浦和明の星女子中学校進学

私は、新四年生の二月から鼎進学教室に入塾しました。きっかけは至って普通です。父が中学受験をして高校受験をスキップでき、それがよかったから、娘の私にも中学受験をさせたいとのことでした。まあ、こんな感じに私の受験生活は始まりました。 私は入試直前になっても人の言うことが素直に聞けない、「わからずや」だったようで「人の言うことを素直にきこう。」と思ったのは2月1日だったと思います。

1月14日の浦和明の星に落ちて、2月1日の午前の吉祥女子に落ちた時。ですが2月1日の午後に受けたおさえの学校は受かっていたので行くところはありました。2月2日はもう一度、吉祥女子を受けました。「この吉祥女子に落ちたら、吉祥女子はもういけない。」という気持ちで。結果は、落ちました。今思い返せば、2月2日の吉祥女子は2月1日に御三家を受けに行った子たちがおさえとして受けに来るので、2月1日の吉祥女子に落ちた時点で私の受験はかなり苦しかったのではないかと思います。2月4日の浦和明の星に備えて2月3日はどこも受けない、ということもできたのですが、ペースをくずさないために、2月3日は鷗友を受けました。落ちました。こう、何回も落ちると、ガーンとなります。日を重ねる度に減っていく、朝、鼎にくる子たちの数。それを見ると、つい「はあ。」となりますが、最後まで「絶対に負けない。」という気合が大事なのでしょう。2月4日、浦和明の星に行き、受かっていようが落ちていようが私の受験は終わりました。

翌日9時。浦和明の星の結果がでました。結果は、受かっていました。「合格おめでとうございます」の文字を見た時、すごく嬉しかったです。ログインIDとパスワードを何度も入れ直し間違っていないか確認したほどです。そして、2月9日、吉祥女子のくり上げの電話がきました。これです、私を迷わせるきっかけとなったのは。くり上げの電話は結局、断りました。なんというか、後出しジャンケンみたいだったからです。最初、私を不合格としたのに後から、空きができたからと合格とするのはちょっとズルいと感じました。だったら、正規で合格にしてくれた浦和明の星に行くよ、と。ですが、実を言うと心残りはあります。そもそも私は浦和明の星より吉祥女子をねらっていたのですから。 最後に、鼎の先生方、最後まで「わからずや」だった私を指導して下さり、ありがとうございました。

Fさんより 鷗友学園女子中学校進学

私は、3年生の春頃から読書パズル講座に、ちょこちょこ行くようになりました。初めの頃は、"楽しい"だけで塾に行っていて、受験のことなどあまり考えていなかったと思います。そして、3年生の1月本格的に塾にかよい始めました。話はとびますが、5年生ぐらいから、実際は分かっていないし、成瀬先生が「大丈夫」ときいてくださっても「うん」といい、ポーカーフェイスをし、それをどうにかしようとせず、成績は落ちてゆく一方、次は頑張るのくり返し、5年生の4月の合不合で偏差値44.9を出し、面談では二組にいくことが決まり、ずっと1組にいた自分は、悔しく、そこから少しずつ「わからない」と言うように自分で変えていき、ずっと覚えていなかった社会の歴史も自主的にノートを作り、覚えるようにしました。 あっという間に月日は流れ入試が始まりました。

1月大宮開成S合格、浦和明の星不合格覚えていないことがどんどん出てくる毎日、算数は復習ノートの量を減らし、(元々やりすぎていた)理社は先生にプリントをもらい、穴をうめていきました。入試本番十日位前から国語がオール記述である鷗友の練習を始めると、小町谷先生に「計画性がない」と言われ、鷗友の過去問では6割をこえることはない日々。ですが、毎日少しずつコツをつかんでいき、なんとなく解くことはなくなりました。 2月1日AM鷗友やPM恵泉を受けました。鷗友では算数がうまくいかず、落胆。

しかし前日成瀬先生に言われた「最後の教科までわからない」と言うことを思い出し、理社で頑張ろうと思ったものの理科の大問2つ目で意味が分からず混乱。試験が終わり不安だったが、気をとり直し恵泉へ。鼎にもどり自己採点算数で6割をこえず、不合格を感じた。夜は次の日にそなえ、早く寝、朝起きると母に恵泉×を知らされ、ショックで号泣し、2日の恵泉を確実にとるため、鼎に向かい気合を入れました。鼎にいくとなぜか頑張れる気がしました。恵泉の帰り裏道に入り鷗友のHPをみた。画面に並ぶ番号、目に入る"1019"自分の番号があった時、本当にうれしかったです。3年半ずっとあこがれていた第一希望である鷗友に合格できたことは、勉強には口を出さず自分を信じ、支えてくれる母、自分は二組が合っていてクラス移動を決断してくれて本当に感謝しています。自分で決めていたら1組に残り、苦しんでいたと思います。そして一番は鼎のお世話になった先生方約3年半、覚えるべきものを覚えない、覚えていても使えない。そんな自分のことを見てくださり本当にありがとうございました。 最後にこれから鼎で受験をする人たちへ。 絶対に最後まであきらめないでください。必ず努力は実ります。これからつらいこともあると思いますが、頑張ってください。

Fさんのお母様より

2月2日12時、鷗友のHPを見た娘が一言、「あった。あったよ‼︎」その言葉と共に兄の時から続いた6年間の鼎生活が終了しました。2月1日2日は本当に本当に濃い2日間でした。1日午後の併願校にまさかの?不合格...娘は就寝時に併願校の合格を信じており、2日の受験予定校の受験票をリュックに入れて起床時間を確認してから早めに就寝。 23時、午後併願校HPを確認。何度見ても娘の受験番号がない。不合格なので、1日午後併願校の2日午前受験出願のはずが、出願締切時間まで残り一時間弱、パニックで出願ページが見つからない。受験票の印刷ができない。何とか出願完了。その後、泣きながら鼎に電話。娘にいつ不合格を伝えたらよいかを相談。朝、起床後に伝えることになりました。 翌朝起床後に娘に不合格を伝えると枕に顔を埋めて大泣き。その姿に私も胸が締め付けられましたが悲しんでいる時間もないのが現実で、何とか気持ちを立て直し前日同様鼎へ。鼎から出てきた娘は戦いに向かうに相応しい顔になっていました。(先生方の魔法?) 2日目受験終了後本人と合流、鷗友の発表まで5分。お互いに時間は気になりつつも無言。12時過ぎ、経堂の駅へ向かう商店街の通りから裏道に一本入り、人通りの少ない場所で確認。まさかの合格に他人の目も気にせず絶叫してしまいました。こうして怒涛の2日間が幕を閉じました。

二歳上の兄も第一志望校合格と、世間の第一志望校進学率と違い、我が家は100%ですが、この結果は、鼎への通塾なしには得られなかったと思います。成瀬先生からは兄弟揃って「首が座っていない」と言われてしまうような幼さが残る子供たちが、最後まで戦い抜くことをができたのは、鼎の方針が我が家にマッチしていた。この一言につきると思います。親の私達は、とにかく先生方を信じておまかせしていました。成績が低空飛行の息子、乱高下型の娘。どちらも心配でしたが、親は勉強にはノータッチを徹底しました。娘から知識に関して質問されてもグーグルで検索、もしくは息子に教えてもらってね。と言ってはぐらかしていたため、面談の際に、先生からテストの内容についてお話があっても問題すら見ていないのでよくわからず...。わかるのは漢字間違いくらいでした。そんな親にかわって、子供の現状把握、今後の方向性など先生方を信じて全ておまかせしていました。面談毎に、先生方への熱い思いと子供一人一人をよくみてくださっていることを感じることができたので、特に娘に関しては、鼎に丸投げ状態でした。模試でびっくりするような低い成績を取っても、最後は何とかしてくれるだろうと考えて、志望校も併願校も変更せず、最後まで走り切りました。 時に厳しい言葉をいただいたり、愛のムチがあったり、決して平坦な道のりではなかったですが、全てが良い経験だったと思います。 成瀬先生、小町谷先生、渡辺先生、岡本先生、小池先生、横田先生、大学生の先生方、本当に本当にありがとうございました。六年間お世話になりました。どうか、お身体を大切になさってください。

Hさんより 白百合学園中学校進学

私の受験勉強は4年生からスタートしました。授業で先生の話を聞かなかったりテキストをしなかったり帰ってから何もしないなど最初は遊び半分でやっていました。それから5年生になり算国理社の先生が変わってから少し受験というものを自覚し始めました。だが、苦手科目である理科の演習問題集は全然しなかったし算数の復習ノートも説明を長々とかいていました。6年生になってからは日曜日と水曜日以外はすべて授業で5年生の時よりはるかに忙しくなりました。6年生では理社は新しい知識はもうほとんどないので4、5年生のまとめをするのですが4、5年生は前に書いたとおり遊び半分だったので知識なんてほとんど頭に入っていませんでした。また一から勉強し始めましたが算数をする時間も取らなければいけなくなかなかできませんでした。その算数も解き方が違うことがよくありました。

夏期講習のときに行われる計算テストでは最下位を競うぐらい計算もできませでした。合不合判定テストではいつも偏差値が60に届かず、白百合の合不判定でも20%か25%でよく親から「無理だね」みたいなことを言われました。その後も入試問題をいろいろやってもみんなが合っているのに私だけ違ったり、成瀬先生に教わったやり方ではないことをしてしまったり変なところで計算ミスをしてよく成瀬先生に「このままでは厳しい」と指で数えきれないほど言われました。また、私の志望校の吉祥女子と白百合とお茶の水女子大学附属は前にもいったとおり20%だったのに親から全て受からなかったら公立、と言われていました。

そして1月受験で栄東のA日程を1番最初に受けて鼎に帰り、問題用紙をもらえなかったので皆でかいた解答を合わせたら算数の1番最初の計算を間違え、それ以外の問題も複数間違えて、不合格になりました。栄東は私が受ける予定の志望校を考えると絶対受からないといけなくて、その日は結構泣きました。次受ける浦和明の星も社会以外が全然だめで、合格ラインをかなり下回って落ちました。その次受けた栄東B日程ではA日程で落ちたのでその時よりも緊張して最初の科目である国語を解きはじめたら浦和明の星ででた物語文と同じ文ができ、合格しました。その後の2月も結局白百合しか受からず、それで私の中学受験は終わりました。この体験で根性が身に着いたし、自分の性格をよく知ることができたのでとても良い体験でした。

Iさんより 立教女学院進学

私が早稲アカから鼎にうつって変わったことの一つは受験に対しての意識だと思います。早稲アカにいたころは宿題などの課題は自らやろうとすることはあまりなく親に言われてからやっていました。でも鼎に来て課題は自らやるようになっていました。自分がやった宿題を適当に見るのではなく細かいところまで見てくれたからだと思います。親に口出しをされずに自分でやるようになって受験をするのは自分で親ではないんだ、と実感できるようになりました。 また、私がやってもらえて一番よかったのは復習ノートです。先生に提出すると一人一人ちがうコメントやサインをしてもらえてちゃんと見てもらえているんだな、と思えたし、自分がいつも間違えてしまっている問題がどのような問題なのかを確認する機会にもできました。

そして先生が私と友達を競争させるようなことを言ってくれたりチーム戦をしてくれたりしたことで前までは勝手に「あの子には勝てないだろう。」と決めつけていたことでも「あの子に勝ちたい。」と思ってやり、その子が解けたのに自分が解けなかった問題があるとより悔しがり解けるようになる問題が増えました。 2月1日には今までやってきた過去問にはでてきていなかった問題があったけど、それを他の学校の問題やプリントでやっていて解き方を思い出してやることができました。いつも同じ学校の過去問だけをやっていたら解けていなかったと思います。一年とちょっとくらいだったけど支えてくれてありがとうございました。

Kさんより 日本女子大学附属中学校進学

私は五年生の秋に転塾しました。最初はとにかく渡辺先生モヒカンが怖かったです。でもどの教科も前の塾よりもとにかく面白い。分かりやすくてだんだん通うのが楽しくなりました。 五年までの私は入試なんてもっと先の話だとあまり実感がわかず、復習ノートの問題数も少なくて成績が伸びないままでした。六年生になって算数の担当が成瀬先生に代わり、「書く量をもう少し減らして、やる問題の量を増やせ」と言われたのでその通りにしようと意識しました。成瀬先生の授業は面白い反面厳しく、何度も「◯〜◯」と言われたけど、成瀬先生と同じやり方で問題が正解した時は嬉しくて、だんだんと算数の苦手意識がなくなっていきました。 社会でも、暗記ものをなかなか覚えず怒られていたことが多かったです。もうすぐ本番という時にプリントをもらいに行っていました。志望校の試験のためへの具体的なアドバイスも教えてもらえたので、毎回の授業の内容を次の授業までには頭の中にしっかり叩き込むようにしました。 理科の復習ノートは、出していない期間が一カ月を過ぎ、慌てて出したこともあります。十月から、入試まで毎日出すことを目標に少しずつ取り組んでいきました。 そうすると理科の問題がだんだんできるようになって自信がついたので、理科も社会ももっと早く行動に移せば、もっといい点数が取れたはず、と後悔しています。

一番得意な科目である国語も一時期成績が伸び悩んでいたことがあったけれど、小町谷先生に相談したら次の合不合でいつも通りの成績が出て、その次にはもっと成績が上がり嬉しかったです。先生達は、いつも全力で私たちをサポートしてくれました。 一月の大宮開成は初めてなので少し緊張したけど合格していたので自分の自信と成りました。浦和明の星では、算数で、まるで靴下を手にはめ、パンツを頭にかぶるようなミスをおかしてしまったので大号泣しました。次に受ける第一志望校では絶対にこのようなミスをしないように冷静さを取り戻して臨もうと思いました。二月一日の朝、早起きが苦手なので鼎に行こうかと迷ったけれど、結果行ったことは正解でした。日常の延長と思うことができて、いつも通りの自分で本番に臨むことが出来ました。

その後のチャレンジ校である、吉祥女子、鷗友、浦和明の星は全て不合格でしたが、身体がくたくたになりながら、挑んだ経験は達成感があったので諦めずに受けることが出来て良かったです。 以前から通っていた塾にそのままいたら、私は第一志望校に受かっていなかったと思います。鼎にきて、手厚いサポートを受けたおかげで得られた達成感だと感じました。一年と少しの間、私と真剣に向き合ってくださり本当にありがとうございました。この塾で得た力を、また中学とこの先へ活かしていきたいと思います。これから辛いことがあった時には、鼎の先生と仲間のきずなのラスカルを握ります。

Lさんより 富士見中学校進学

私の鼎の最初の印象は個性的な先生がたくさんいて先生達とも生徒達ともなじめないと思った。でもそんなことはなく先生達も凄い面白くてこの塾いいなと気に入って入塾した。最初都道府県の漢字と場所、県庁所在地など覚えてなくてはいけなくてよく残り頑張って覚えた。組み分けのテストはちょっと自信があったけど初めてだったから緊張していまでは考えられなくらいのひどさだった。5年生になって新しい先生になり最初は緊張して何もできなくて、その後も意味分からないのに理解したと言って全然できないからよく怒られた。理科で人生初の質問をしたら優しく教えてくれて別に質問してもいいんだってはじめておもった。そしたら、保護者会でもっと「私みたいに質問して欲しい」と言ってたと聞いて嬉しかった。

それから私はわからない問題をわかるまで質問するようになった。冬期講習で算数の計算テストを毎日やってたら最終的に2位で終わって先生も私も驚いた。そして、先生からノートをもらっていまも大切に保管している。5年生から6年生に変わるとき私は成績が悪いから2に落とそうとしてたけど結局1に残った。6年生になって合不合判テストが始まり国語の偏差値が50を超えたことがないくらい国語が苦手だった。文章の意味がわからなくてこのままじゃ入試もうまくいかないと焦った。そしたら先生が国語の補習をしてくれると言ってくれて毎週塾で線の引き方と読み方を教えてもらってその後は問題を解いた。今まで文章を理解できなかったけど補習を受け分かるようになった。国語は入試間近には7割近くの点数が取れるようになった。理科は小さい頃から周りをよく見ていなかったので植物や動物の問題がひどかった。だから、自分からプリントをもらいにいき今まで覚えてこなかった知識をたくさん詰め込んだ。先生は私にたくさんの植物の写真を見せてくれたので生物の点数が取れるようになった。社会は公民が苦手だからあんまり勉強しなかった。すると、あと公民を頑張ったら合格者平均に届いたと言われて反省し、公民も歴史の年号もいっぱい覚えた。それとテストの記述に話し言葉を使っていたのをクラスの友達の前で話されて、みんなに笑われ悔しかったのを覚えている。それから気をつけて書くようにしている。算数の時、私は1の下だったので結構大変だった。私の前は誰もいないのでよくやり方など見られ、「違う、俺がやるようにやれ」と言われた。でも、正解者が少ない中で私があってると「ほんと努力でカバーしてきたんだな」と言われ本当に嬉しかったのを覚えている。

入試前日も入試当日も「緊張した。でも試験に行く前に塾で勉強して行くといつもと同じだなと安心できた。行きの電車朝貰ったプリントを見て行ったが会場に着いた途端いきなりお腹がいたくなった。でも試験が始まると落ち着いて解けたからよかった。結果は第一志望にはとどかなったけど、私は合格をもらった中学で今まで教わったことを忘れずに頑張っていきたいと思います。 最後に成瀬先生、小町谷先生、岡本先生、渡邊先生、授業をしてくれた先生方、こんな私を成長させてくれてありがとうございました。私は鼎に通えて本当に良かったと思います。ありがとうございました。

Mさんより 富士見中学校進学

私は、元々、大手塾にいましたが、算数が壊滅的でその塾のテストで16点や34点を叩き出していました。そこに2年通い続け、算数をどうにかするために鼎に来ました。 5年生の11月に私は鼎に来たのですが、もちろん、その頃には「受験」は意識の外でした。6年生の3月になり、和一定や差一定がよくわかっておらず、成瀬先生にめちゃくちゃ怒られました。 鼎に来て、自分で気付かなかったうちに少し算数が解けるようになっていきました。(平均はあまりいかない) そして、1月受験。私は10日に大宮開成を受け、合格ラインにより4点上のギリギリ合格。それに問題があると思い、12日にも大宮開成を受け、算数で2問の凡ミス、解けたであろう問題を1問解けず、計15点分の点が引かれた。その分の点があると、3年特待合格にギリギリですが、なっていたので問題が残っていました。14日には、浦明を受けました。

ですが、朝CMで流れていた歌が頭から離れず、試験に集中できず、算数が27点。(なので、こんな性質持ってない人でも一応、音楽はかけないほうがいいです。) 本番の受験では、1日、2日を吉祥女子、1日、3日の午後を恵泉、2日の午後に大妻中野、3日の午後の午前に富士見、4日に浦明を受けました。結果は1日の吉女が×午後の恵泉が×、2日の吉女が×、午後の中野が○、午後の恵泉が×、4日の浦明が×でした。 1日の吉女は、大問題の算数がうまくいき、自信はあったのですが、合格ラインから7〜8点差で不合格。悔しく、少し泣きました。2日の吉女は、算数が100点中34点という壊滅的な状況に不合格を確信し、家で結果をみると、想像通り、不合格。塾でも、家の布団の中でも大泣きし、目がパンパンに膨れていました。3日の富士見が合格でとても嬉しかったです。 鼎の先生方、今までありがとうございました。

Rさんより 東京電機大学中学校進学

私の合格体験記は二つあります。一つ目は合格発表の時の反応です。 私は、1月の時に合格発表の時に、ふつうは合格だったら「イエーイ」となかんるけど、まず私はどう反応すればよいのか分からなくて、父親にだいじょうぶ?となどと聞かれました。 ここから、まず思ったのは、まず分からなくてもとりあえず、何か反応するということが、大切だということが分かりました。 二つ目はご褒美を作るということです。私は、お正月のとき、母が「東京電機大中学を受かったら、おいしいローストビーフとパーンケーキのお店に行こう」と言われ、それがやる気を出せる源でした。このように自分の好きな物をごほうびにするといいことが分かりました。

Rさんのお父さまより

娘は3年から鼎にお世話になりました。私自身が成瀬さんや小町谷さん、小池さんと学生時代に一緒に講師として働かせていただいたこともり、最後までしっかり娘のことを見てくれる、彼女の長所を活かしてくれる、と信じてお願いしました。 しかしながら、なかなか算数の計算、国語の漢字などが出来ずに知識があってもそれをテストの場で正しく答えることができず、なかなか点数が出ませんでした。特に中学受験で一番大事な算数は組分けテストや合不合でも1-3問の正解のレベルで偏差値も20台を叩くことが度々でした。 それでも、本人は理科社会を含む4教科を勉強すること、鼎に通い続けることを選び、共働きの我が家の特性もあり、5年生からは原則自分で弁当を作り、電車に乗って鼎に通い続けました。

しかしながら12月までの首都圏模試の成績を勘案しても、第一希望の聖徳学園が算国の入試でもあり、算数が足を引っ張り合格が厳しいと思い、滑り止めまたは全滅での公立進学もやむを得ないと覚悟をしていました。 そんな中、12月の面談時に、社会の渡邊先生から東京電機大の3回目(2月4日午後)の受験の提案を受けました。偏差値的に大きく離れており難しいと思っていましたが、選択2教科・国語社会で受けられる、男子と女子の倍率が大きく違うことなどを知り選択肢に入れることとしました。 その後、2回受験の加点を意識しながら妻とも相談し、東京電機大中学を第1志望に変え、1日午前中に4教科で受験する意思にしました。担任の横田先生や成瀬先生は聖徳学園全滅があり得るのでは?とご心配していただきましたが最終的にこちらの考えを理解いただき、本人とも意識を統一して1月から最後の追込みに入りました。

正直1月の埼玉県の学校の受験結果も芳しくなく、厳しい戦いかと思いました。実際に1日AM電機大、PM、2日PM、3日の聖徳学園と×が続き、第3希望の白梅だけが〇という状況が4日まで続きました。最後、3日午後、4日昼過ぎまで本人は鼎に通い、国社の特訓やお守り、励ましをいただきました。そのおかげもあり、4日午後の受験を終え、夜PCで合否を確認した際の本人の喜びようは物凄かったです。 理系が主流であろう東京電機大中へ国社受験だったり、英語にも苦手意識があるなど中学生活は楽観視はできないですし、父親の私が海外への単身赴任で不在になるなど不安もありますが、最後本人も肝を据え勉強し、第一志望合格を勝ち得た成功体験は今後の彼女にとって役に立つものと信じます。 また何より彼女の長所を見極め、相応しい提案をしてくださった鼎の先生方に感謝申し上げます。管理職なり数年、いろいろ部下育成、コミュニケーションで悩んでいた私としても大変示唆に富む経験が出来ました。

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