2024年度中学入試合格体験記

2024年度中学入試に合格した卒業生と、その保護者の方々の声をまとめました。
毎年、大人の添削も宣伝用のフォーマットもなく、ほぼそのままの状態で載せています。 そのあたりも含めてお読みいただけるとありがたいです。

Aさんより 吉祥女子中学校

私は、3年生の2月に入塾しました。部活で好きな新体操がやりたかったので受験しようと思い、授業の体験をした中で鼎が一番楽しかったので鼎に入りました。3年生の頃は、ただ楽しい習い事感覚で塾に通っていました。5年生になり本格的な受験勉強が始まると、勉強で1位になりたいという気持ちが強くなり桜蔭にいきたいと思うようになりました。鼎の授業は小学校と違って、自分の知らないことを次々と教えてもらえるのでとても楽しく、始めは長いと思った2時間の授業もあっという間に終わってしまいました。5年生の後半になると、どんどん成績が上がっていき、勉強が楽しく好きになっていきました。良い調子で5年生が終わり、6年生が始まりました。6年生になって自分の中では5年生の時よりも勉強量を増やしたつもりでしたが、なかなか成績が上がらず逆に下がってしまいました。成績が上がらないことがとても悔しかったため、1学期後半からは少しでも時間があるなら勉強しようと思い無駄な時間を減らしていきました。夏休み頃からは、今までのように出された宿題を丁寧にやるだけではなく、少しずつ個人的にプリントをもらうようになっていきました。秋以降はやらなくてはいけないことがたくさんあるのに時間が足りないという状況になってきたため、少しの時間でも必死に勉強していました。

私の入試は1月10日に始まりました。10日に栄東A日程、12日に栄東東大選抜、14日に浦和明の星を受けました。1月受験の3つの学校の中で一番記憶に残っているのは浦明です。過去問では前日まで算数で全然点数が取れず、このままでは合格できないと思い、入試本番では今までだったら確認しなそうなところまで細かく検算しました。そしたら、算数ではとらないといけないところが全て正解していたため、結果合格したことと同じくらいうれしかったし、算数がより好きになりました。14日で1月入試が終わり、桜蔭というひとつの目標に向けて残りの半月は追い込みました。

いよいよ2月1日、桜蔭中の入試の日になりました。ずっと行きたかった桜蔭中の入試だったため朝は緊張していましたが、学校に向かう前に鼎で計算をしたら緊張がほぐれたためテストはいつも通りの感じで受けることが出来ました。どの教科でもテスト前に絶対にマイナスの事を考えず、「出来る!」と自分に言い聞かせて取り組んだため本当に全力を出し切ることが出来ました。テストで全力を出し切ったので、校舎を出た時は本当に疲れていましたが、全く後悔がなかったし入試がとても楽しかったので、1日の午後に「明日の吉祥女子で入試を終わりにする」と親と成瀬先生に伝えました。そして私は、いつも先生たちに目力が強いと言われていましたが、桜蔭から帰ると目力がなくなったと言われました。自己採点では量が多いのに問題が難しかった算数で5割くらい点数をとれていると成瀬先生に言われ、今までと形式が変わってしまった社会でも7~8割をとれていると小池先生に言われたため、国語と理科の確認はできませんでしたが私は桜蔭に受かった気がしたまま結果を待っていました。

2日の14時。桜蔭の合格発表でパソコンの画面に不合格という文字が見えたときにはずっと合格したと思い込んでいたため悔しくも悲しくもなく頭がパニック状態になって泣きました。2日午前の吉祥女子は前日の桜蔭で全力を出し切り、疲れ切ってしまっていたためどんな感じだったか全く記憶にありません。また、桜蔭の時よりも集中できていなかったので、14時以降は浦明に行くんだと思っていました。でも、吉祥女子が受かっていたら絶対浦明よりも吉祥女子に行きたかったので20時30分に吉祥女子合格と分かったときは、とてもうれしかったです。

私がこんなに頑張れたのは、鼎の先生方と6-1のみんなのおかげです。 算数は、毎日出す復習ノートに成瀬先生がいつも違うサインをしてくれることでもっと頑張ろうと思えました。また、成瀬先生に褒めてもらえるととてもうれしくて、先生の言葉が頑張る力となりました。 国語は、私が記述で具体例を長く書いているときに小町谷先生がどんなことを中心に書いたらいいかを細かく教えてくれたので記述力が上がり、理社でも生かすことができるようになりました。 理科は、4年生の鼎の授業からずっと好きな教科でしたが、岡本先生が動画や画像をたくさん見せてくれたり細かいところまで話をしてくれたのでより理科が好きになりました。 社会は、渡邉先生の暗記の仕方が面白く、覚えやすかったため6年生の後半になってからは一番点数を取れる科目になりました。 6-1のみんなとは、お弁当や休み時間に学校の事や趣味の事などを話すことで気分転換することが出来ました。優しい雰囲気の6-1クラスが大好きでした。

鼎では勉強の楽しさややればできるようになるという事を学びました。吉祥女子に行っても頑張ります。3年間本当にありがとうございました。

Aさんのお母様より

2月1日憧れの桜蔭中学校の入試の帰り道。 「めっちゃ難しかった! でも楽しかった! もう全部出し切ったから全く後悔はない! だからもう明日で受験終わりにする」と、とても清々しい表情で突然の受験辞めます宣言! 笑 娘の受験は最後まで娘らしいものとなりました。

我が家が受験を考え始めたのは2020年春、コロナによる一斉休校が大きなきっかけです。 突然大好きなお友達に会えなくなり、そして何より4歳から始めた大好きな新体操の練習中止。次の大会では個人でメダルを取りたいという目標がなくなった娘から「中学受験したい」と一言。理由は新体操を部活で思い切りやりたいからとのことでした。 私たち夫婦は共に中学受験経験なし。そして娘の子育てにおいても一人娘ということもあり、とにかく可愛い可愛いと親バカ全開で、伸び伸びと自由に育ててきました。そのため娘の発言にびっくり。ただ、幼い頃から一度言い出したら意志は変わらない娘。冬になる頃に「早く塾さがして」と催促。「塾に行ったら放課後お友達と遊べないよ? 新体操もやれる時間減るよ!」と何度も説得したのですが、結局娘に負け急いで塾探しをスタートしました。大手塾から順番に体験に行き、「ここがいい! 今すぐ申し込んで!」と娘が唯一選んだのが鼎進学教室でした。 4年生の頃は習い事感覚で通塾。新体操優先の生活でした。

そして5年生。いよいよ塾も増え、週3の新体操と全部曜日が被ってしまうため娘に今後どうするか相談したところ「新体操で一位になれないことがわかった! だから今度は勉強で一位を目指す! 桜蔭中行く!」と、またまた娘の発言にびっくり。そしてこの宣言から娘の桜蔭中学校への挑戦が始まり、その思いは決して変わることなく、その後2年間休むことなく走り続けました。(新体操は気分転換もかね、コーチにお願いをして6年生の夏まで週一のみ続けました) 6年生になり春から夏前は成績が低迷し、合不合格テストではやってもやっても点数が取れない。この時期が見守っていて一番辛い時期でした。一度志望校を変えることを提案した際「嫌だ! 絶対桜蔭に行きたい!」と声をあげて大泣き。そんな娘をただ一緒に泣きながら抱きしめることしかできない自分が情けなかったあの日は、今後も忘れることはないと思います。その後もひたむきに、がむしゃらに、そして常に前向きに勉強と向き合う娘の後ろ姿を逞しく感じるとともに、見守ることしかできないもどかしさで何度もごめんねと心の中で謝った一年でもありました。

あっという間に怒涛の夏期講習も終わり、秋以降は23時まで残り、帰宅してすぐお風呂、そして0時半まで勉強。朝も早く起きて計算だけはやって学校へ。娘の性格上、学校生活も全力で過ごしていたので、本当に毎日ギリギリの体力との戦いでした。そして夜はいつも「1日が24時間では足りない!」と言いながら倒れるように寝ていました。少し休憩するように言っても「もう少しだから」と納得がいくまで勉強。母としては、常に全力疾走を続ける娘がいつか壊れてしまうのではないかと、本当に心配が尽きない半年でした。

そしてついに2月1日。にこにこと晴れやかな表情で校舎の中へ。たった12歳、ここまで自分で立てた目標に向けて努力し、堂々と戦いに向かう娘はとても輝いていました。 1日桜蔭中の合格発表は2日14時。2日の午前は吉祥女子中を受験し、急いで帰宅して結果を確認。静かに涙を流しながら、不合格という文字を唖然と見つめる娘。喪失感の中で鼎に行き、もう明日以降の受験は辞めますと宣言。一月の浦和明の星で決まりかと思う中、20時半の吉祥女子の発表で合格! 嬉しさのあまり、即鼎に電話。スピーカーから聞こえる先生方の娘に対する温かい言葉の数々に、14時とは全く別の涙が止まりませんでした。

この3年間一度も弱音を吐かず、むしろ楽しい楽しいと常に目標に向けて前向きに頑張った娘。それを後押ししてくださったのは、他の誰でもなく鼎の先生方でした。私たち夫婦は、勉強については何も口出しせず、プロの先生方に全てお任せしよう、とにかく見守るだけにしよう、娘の好きにさせよう、と決めていましたので、本当に本当に先生方には助けていただきました。たくさん褒めてくださり、時にはビシッと喝を入れてくださったり…先生方に褒められた日はとっても嬉しそうで、娘にとって何よりも心の支えでした。そして、家族以外でこんなにも全力でぶつかってくれる信頼できる大人に出会えた娘は本当に幸せで、それだけでもこの3年という時間は娘の人生にとって、とても素敵な財産になったと思います。

今、娘は気持ちを吉祥女子中に切り替え、4月からの生活が楽しみで仕方ない様子です。「吉女でトップになって、絶対成瀬先生に報告に行く!」とまたまた宣言し、いきいきと残りの小学校生活を楽しんでいます。そして、勉強がなくて暇〜と言いながら毎日鼎の話をしています。すっかり鼎ロスのようです! しかし、「もう二度と同じことはできない!もう中学受験はしない!」という言葉から、本当に全力で頑張ったのだなと、親バカながら娘を尊敬しています。そして、思いつきの夢のような目標でしたが、最後はしっかり点数が取れるようにもなり、一緒に大きな夢を追いかけさせてくれ、楽しませてくれた娘にとても感謝しています。この3年間、私達親以上に娘のことを想い、ずっと寄り添ってくださった鼎の先生方。私の拙い言葉では伝えきれないほど感謝してもしきれません。これから娘はきっと、ずっと鼎の卒業生であることを誇りに思い、時には先生方に会いに行くことで、心を保つのだと思います。それほど娘にとって、鼎での3年間は本当に宝物であり、大好きな場所です。本当に本当にありがとうございました。そしてこれからも娘の成長をずっと見守ってくださったら幸いです。今後ともよろしくお願い致します。

Bさんより 吉祥女子中学校進学

私は四年生の時に鼎に来ました。その時は自分でも、何をやっているのかわかりませんでした。そして、勉強をいわれるがままにやっていて、テストの結果もよくなりませんでした。五年生になり、算数が岡本先生から成瀬先生に変わりました。最初のほう、私は復習ノートを出していませんでした。しかし、成瀬先生に復習ノートをやらないからやるべきこともできないのだと怒られたのを今でも覚えています。そこで初めて私は宿題・復習の必要性に気が付きました。そしてまたやり始めると、少しずつ成績が上がり始めました。

六年生になってしばらくすると、私は社会がとても苦手であることを気にするようになり、足を引っ張りたくないと考えるようになりました。何とか社会をやる時間を増やそうとしたけれど、算数は手を抜きたくありませんでした。成瀬先生に、算数で入試のすべてが決まるといわれたからです。そこで私は、算数と社会を両立させるために睡眠時間を削って社会にあてたり、学校でやったりすることにしました。そのおかげで私は社会も少しずつできるようになっていきました。しかし、まだ苦手意識は強い。しかも社会は他の教科と違って、直前までマニアックな知識をたくさん覚えないといけない。私は特に歴史の年表が苦手で並び替えが全然できなかったけれど、直前まで頑張って頭に詰め込みました。

ついに入試本番。私は雙葉を受験しました。社会では年表を頑張って覚えていたおかげで、ややこしい並び替えにも対応することが出来ました。国語や理科も大きな間違えはおかしていません。しかし、私は完全に落ちたと思っていました。プラスを稼ごうと思っていた算数でまさかの大パニックになってしまったからです。しかも最初のほうに解いた売買で頭が真っ白に。その後解いた問題は全滅でした。この二年間で一番ひどい…「算数ですべてが決まる」解き終わったときには成瀬先生のこの言葉が頭の中でめぐっていました。しかし、この後悔を二日の吉祥に引きずったら吉祥にも落ちてしまって悪循環だと思いました。私は成瀬先生に励まされたおかげで悪いことはすべて神様がやったと考えられるようになりました。

また、一日の雙葉でよかったことは、算数でのショックを後の理科・社会に引きずらなかったことだと思います。雙葉は私に、自分の力を全力で出し切るチャンスを与えてくれた…そう考えることで開き直り、自分でも驚くほどテスト中は引きずらないで集中して取り組むことができました。結果雙葉はやっぱり×。聞いた時はやっぱり悲しかったけれど、一日の夜でその気持ちを出し切っていたのでやっぱそうだよねという感じでした。吉祥では〇をもらえました。今は、自分の力を正当に評価してくれなかった雙葉より、後悔を残さず自分に全力を出させてくれた吉祥のほうが良いと思うようにしています。私はこの体験を通して、うまくいかないことも前向きにとらえていき、強く生きることが大切だ、そしていやなことを引きずるより新しく楽しいことを考えた方が絶対にうまくいくということを学びました。鼎の先生方、二年間最後まで諦めずに一生懸命教えてくださり、本当にありがとうございました。

Bさんのお父様より

4年生になる前に国立周辺で塾探しをしているときに、ある大手塾でたまたま鼎の噂を聞き、冷やかし半分に鼎の説明会に行きました。「鼎が他の大手塾よりも優れている点は?」と質問すると「誠心誠意子供に接します。他の塾とは熱量が違います」と。成瀬先生のこの言葉に惹かれ鼎を選びました。

体験入塾で好きな教科を聞かれて「体育!」と答えた娘は、入塾当初は鼎の先生方の熱意に負けたのか塾を怖がっており、勉強に身が入りませんでした。しかし5年生半ばから受験を意識して自ら進んで宿題をこなし、徐々に成績が伸び始めました。6年生の春期講習で根性がつき、夏期講習頃に普通の小学生から一人前の受験生の顔になり、毎日23時過ぎまで塾に残って勉強をするようになりました。入試直前で少人数クラスになると先生の熱意をようやく理解して尊敬したようです。 親は勉強の内容に一切口を出していません。先生方を信頼してすべてを任せていました。娘の意識を変え、毎晩遅くまで応援してくれた先生方には感謝の念に堪えません。

一番感謝したいのは、受験当日の朝です。1月の埼玉入試では、早朝に西国分寺駅で渡邊先生にカイロをもらって緊張がほぐれ、国理をやらかしても僅差で合格できました。2月1日朝は鼎で先生全員に励ましてもらい、直前までカンニングメモ(先生からのアドバイス?)を読んで心に浸み込ませたようです。本番では得意の算数でパニくり、先生の言葉を思い出して気持ちを切り替え、苦手の社会で粘り、得意の理科で復活しました。鼎に戻って成瀬先生に慰めてもらったそうですが、夜は悔しくて毛布を被って泣き、お風呂で泣き、夕飯中も泣き、翌朝も口もきけない程落胆していました。

そして2月2日の朝。受験に向かう前に鼎で成瀬先生に魔法のような励ましの言葉を掛けてもらい、心の状態を持ち直して、全力を出し切ることができました。 成瀬先生の言っていた熱量とはこのことだったのだと、最後に感じることができました。鼎を選んで本当に良かったと思っています。ありがとうございました。

Cさんより 鷗友学園女子中学校進学

私は五年生の終わり頃に転塾してきました。まだ志望校は全く決めていなかったけれど、六年生の夏前に鷗友学園の学校説明会に行ったとき、学生の皆さんの楽しそうな様子を見て「この学校に通いたい」と思い、第一志望校に決めました。けれど鷗友の過去問を見てみたら、算数は途中式や解き方を書く形式でした。毎日成瀬先生に『雑』と言われていた私にとってこれは大の苦手なものでした。しかし雑な性格を変えるように言われてもどうしてよいかわかりませんでした。一月受験の時まで、雑なのはそういう性格だから仕方がないと思い、雑が直ることもなく月日が過ぎていきました。

そして一月受験の時、開智所沢の特待に落ち、このままでは絶対に鷗友に受からないと初めて焦りました。そこからやっと、丁寧に問題を解くことに気をつけるようになりました。そして迎えた二月一日の午前の鷗友、結果は×でした。絶対間違えてはいけない一問目の計算から間違え、すごく後悔しました。その後の試験は気持ちを切り替え、午後の恵泉と二日の富士見は合格をもらうことができました。二日の試験の後、翌日の鴎友第二回の合格がもらえるように、鼎に戻り社会と算数の過去問や理科のプリントをして三日の試験にのぞみました。一日目と違い、国語は全て記述が書き終わり、算数も解けた自信がありました。試験が終わった後は『受かっていても受かっていなくてもやり切った』という気持ちになりました。

次の日の正午、緊張しながらホームぺージをひらくと、自分の受験番号があり驚きました。噓だと思い何回も確認しました。本当に嬉しかったです。受験が終わってみれば鼎での1年ちょっとは楽しかったなと思えます。これから受験する皆さんは直前になって焦らないように、自分の直すところは早めに直したほうがよいと思います。最後まで自分を信じて頑張ってください。応援しています。

Cさんのお母様より

5年生の冬まで約2年間大手の進学塾に通っていましたが、思うように成績は伸びず、親子での口喧嘩も絶えず、親子もろとも受験勉強に疲れきっていました。中学受験を続けるか辞めるか、仮に続けるとしても同じ塾のままでいいのか、あるいは思い切って転塾するか、、、。 そんな悶々とする日々が続いていた頃、友人から『鼎っていう塾があって、そこなら親は勉強に関してノータッチで全部見てくれるらしいよ』と、いう話を聞きました。早速、『鼎進学教室』を検索してみると、何やら髪型が特徴的な先生の写真が出てきて、この塾はちょっと、、、と、あまり前向きには捉えられませんでした(渡邊先生大変申し訳ありません!)。しかし、まずは体験に行ってみて様子を見てから決めようと考え、早速行かせてみると、『今日から鼎に転塾する!』と、娘は帰宅早々に決断。親としては、受験まで残り1年と迫るタイミングでの転塾には最後まで若干の迷いはありましたが、これまでの環境を大きく変えることが何かのきっかけになればと考え、5年生の12月頃から鼎でお世話になることになりました。

転塾してからは、これまで毎日つきっきりで教えていた娘との勉強をやめ、全てを塾に任せることにしました。塾には、娘の雑な性格はすぐに見破られ、ノートの字が大きかったり小さかったり、まっすぐ書けないという基本的な所から指導していただくこととなりました。個人面談では一人一人の先生から、今はどういうことができていて、どういうところが今後の課題か、などを毎回細かく教えていただきました。夏休みに入ってからは、背負うと後ろにひっくり返りそうになるくらい重いリュックを背負い、ほぼ毎日朝早くから夜遅くまでみっちりと勉強し、それでも泣き言は一つも言わず黙々と塾に通い続けました。

その頃から色々な学校のオープンキャンパスに足を運ぶようになった中で、娘が大変気に入った学校がありましたが、そこは娘の成績からは相当頑張らなければ合格は難しい学校でした。夏休みが終わっても成績は横ばいで、10月・11月・12月とどんどん月日が経過し、12月の最後の合不合テストを目前に、これで結果を出せなければ、第一志望校へのチャレンジは難しいかも、、、と内心思っていました。しかし結果はこれまでとほぼ変わらず。その後の面談で成瀬先生に、『1月の入試結果を見てから第一志望校を変えるかどうか考えよう』と言われてしまい、親としてもいよいよチャレンジは難しいかなと怯んでしまいましたが、そんな親の心子知らずとばかりに、当の本人は『絶対大丈夫!』と、どこから湧いてくる自信なのかはわかりませんがずっと言っていました。

いよいよ年が明けた1月の埼玉受験では、一般入試は合格するも特待は不合格、果たしてこのまま第一志望校を受験しても大丈夫だろうかと心配し、『成瀬先生に志望校変えるように言われてない?』と娘に何度もたずねてしまうほど不安はありました。けれども結局そのまま第一志望校は変えずに挑戦することになりました。というのは、1月最後の2週間、朝から晩まで本番対策を重ねる中で、親から見ても目を見張るように学力が向上していることが感じ取れ、これはもしかしたら合格できるかも?という気持ちにまで変化していったからです。

そして迎えた2月1日の本番当日、いつも通り緊張することもなく無事に試験を終えた娘でしたが、『理科が苦手なところばかり出た』と少し落ち込み気味でした。結果は✕でした。続く、2月2日は第二志望校の試験を午前と午後の2回受験する予定でしたが、午前の試験が終わって会場から出てきた娘に『午後の試験どうする?受ける?』と聞くと『今受けた試験はめっちゃ自信あるから午後は受けずに鼎に戻って明日の鷗友対策する!』と言いました。私はほんとにいいの?ほんとに大丈夫?と何度も聞きましたが、娘は吸い込まれるように鼎に戻っていきました。その日の夜に第二志望の結果を見てみると無事に合格だったのでほっとしました。翌日2月3日、『これが最後の試験になるかもだから、今までの頑張りを全部出し切っておいで』と言って娘を送り出しました。試験を終えて戻ってきた娘は満面の笑みで『算数も国語もできた気がする!』とやり切った表情をしていました。ここまで達成感のある受験で終えられたこと自体に満足していましたので、受かっていても落ちていても悔いはないねと娘とも話しながら家に帰りました。そして翌日の発表、結果はなんと合格でした。

1年前、あの時に鼎を選んでいなかったら、娘の第一志望校には合格できていなかったと思います。無口な娘ですので意思疎通をとるのも難しかったのではと思いますが、本人の性格をよく理解して下さり、毎日毎日徹底的に付き添ってくれて、志望校合格まで確実に一歩ずつ導いてくださった先生方には本当に感謝をしています。娘も鼎での受験を通して、ひとつ大きく成長することができたのではないかと思います。あらためまして、先生方、本当にありがとうございました。

Dさんより 帝京大学中学校進学

私が通い始めたのは4年生の頃でした。 4年生から5年生になって、算数の先生が変わりました。同じクラスの人が解ける問題が自分は解けないことが増えて、算数がとても苦手になりました。塾に行きたくないと思う日が増えて、辞めたいと思い塾に入れないことがありました。 そして6年生になって5年生のときにはしっかり出していた復習ノートを出さなくなったり、宿題をやらなくなりました。夏期講習になって、一度やった問題ができないことがあってこのままじゃまずいと思い、またやるようになりました。

そのあと、復習ノートをしっかりやらなかったせいでどんどんわからなくなっていき、また復習ノートが出せなくなりました。だけど、冬期講習らへんから、過去問を授業でやるようになって、ほかの人に比べて全然点数が取れなくてこのままじゃ絶対に受からないし、悔しかったからこれからは毎日復習ノートを出そうと決めました。

そして、2月1日になりました。私は第一志望校の吉祥女子を受けました。算数以外は普通に練習通りできたのですが、算数で、ほかの人が絶対にとれるようなところをたくさん落としてしまい、不合格でした。この時私は、いままで全く努力してこなかった事をとても後悔しました。なので、明日は絶対に合格しようと覚悟を決めて2日の帝京大学中学校に行きました。結果は合格でしたが、算数で計算の1問目から間違えたり、自分が出した答えであっていたのに信じられずに違う答えを書いてしまったりと、とても悔しかったです。

帝京大学中学校に行くことは決まっていましたが、1日目と2日目でとても悔しくてこのままではおわりたくなかったので、3日も富士見中学を受けることにしました。3日は全部できたわけではないけど、自分のなかでとてもやり切れたので、合格を見たときは、とてもうれしかったです。 今、私はもっと努力をすればよかったととても後悔しています。なので中学校にいったら努力を続けられるようにしたいです。 最後まで私を教えてくれた鼎の先生、ありがとうございました。

Eさんより カリタス女子中学校進学

去年、中学受験をした兄を見て偏差値関係なく落ちたりすることを知り本当に怖いものだと思いました。でも兄は、逆転合格をしたので私もそういう受験をしたいなと思いました。ですが、そう簡単にできることではありませんでした。なぜなら、私は国語と社会が驚くほどできなかったからです。だから、まず先生からもらった地理のプリント確実にやることを心がけました。歴史と公民はずっとダメだったけど地理はできるようになりました。国語は、漢字をかかさず毎日やりました。ですが、良い結果は出ませんでした。

そういうことを経験し1月受験を迎えて結果が出て点数を見たら、国語はダメダメでしたが、社会が今までにとったことのない点数を取ることができました。その時は苦手だった社会を高い点数を取ることができてとても嬉しかったです。

して、中学受験本番の2月になって2月1日の午前は第一志望の明大八王子を受け午後は第二希望のカリタスを受けました。ですが、両方ともダメでした。その時はすごく悔しかったです。それで、2月2日はまたカリタスを受けたのですがそれもダメでした。そして、2月3日は明八を受ける予定でしたがその学校がすごく高い壁であったと分かり自分で2月3日はカリタスを受けると決めました。そして今度こそ絶対に受かってやるという気持ちでいどみました。その結果は合格でした。その時「物事を自分で決めると良い結果がでるんだな」と思いました。そして中学受験の最終日の2月5日は明八を受けました。結果はダメでしたが、悔いはなかったので自分の中ですごく良い中学受験になったなと思いました。

Eさんのお父様より

(鼎とのご縁について) 兄が鼎に通塾していたこともあり、3年生の前半から鼎にお世話になっていました。組分けテストでどれだけ悪い点を取ってもショックを受けるわけでもなく、ただ淡々と授業を受け、何となく宿題をこなす日々が2年ほど続き、迎えた5年生の春、初めてサピックス模試を受けることに。兄の時の経験から心構えはしていたのですが、想定を大きく超えるまさかの全体順位ワースト10入り、偏差値が彼女の和暦の生まれ年に迫る数値に。さらにこの頃学校のテストも散々な結果が続いたことから、このまま成功体験の期待できそうもない状態で勉強を続けるのは娘の将来にとって良くないと思い、親の判断でまずは学校の勉強に集中するために鼎を退塾させることにしました。

しかし、親の思うようには事は進まず、一向に学校の成績も上がらない日々が半年ほど続き、途方に暮れていた5年生の夏休み明け、これまでほとんど何も自分のやりたい事の意思表示をしなかった娘が、「私は鼎の時のように友達と競争しながら勉強するスタイルが合っているから鼎に戻りたい」と伝えてきたのです。しかし、5年生の夏休み明けに半年間のブランクのある低偏差値の生徒を親身に受け入れてくれそうな集団塾など思い当たるはずもなく(ビジネスの匂いがするいくつかの個別指導塾はありましたが)、学校の勉強に集中するために退塾させると啖呵を切った親としては恥を忍んで鼎の先生方に復帰の相談をしました。その際、鼎の先生方は嫌味の一つもなく快く出戻り娘を受け入れて下さり、今思えば、彼女の中学受験はここからスタートしたのだと思います。

再スタート後の娘は組分け・合判テストの結果はほとんど以前と変わらないものの、日々の小テストや復習ノートなどの内容は徐々に良くなっている印象でした。何より勉強に対する姿勢が前向きになっているのが見て取れるようになり、側から見ても努力しているのが分かるようなりました。鼎の保護者面談でも数値結果については参考程度で、主に普段の授業の様子や学習の理解度について説明してくださったので、本当の課題が何なのかよく分かるようになってきました。その後も6年生での合不合やサピックスオープンの結果は惨憺たるものでしたが、模試の数値だけで評価しない鼎スタイル(数値ももちろん気にされてます)に馴染んでいき、親子共に無駄な焦りはなく冷静に課題を受け止めていたように思います。

(志望校について) 紆余曲折を経て、最終的に絞った志望校は以下の通り。 第1志望:明八、第2志望:カリタス、第3志望:開智所沢、第4志望:大妻多摩 一般的には付属校 or 進学校、共学 or 別学で絞るのが王道とされている中、それを踏まえた親の意向を通そうかとも思いましたが、納得しない道では一切動作しないエンジンを搭載した娘の性格を見越し、極力彼女の希望を尊重するようにしました。ちなみにどの志望校も持ち偏差値より相当上でしたので、現実を見据えた第5、第6志望の学校も親子で事前に話し合った上で受験に臨みました。

(受験時の様子) 〜1月 埼玉受験〜 お試し受験の位置付けではない進学する可能性のある開智所沢を受験本番の初日として臨みました。開智中学との共通受験でダブル出願可という珍しい形態を取っていたため、見かけの受験者数がかなり多く、全く読めない試験となりましたが、結果的には1/10の試験でボーダーより1点だけ上の得点で合格。1点の重みを再認識しました。これにより2月の受験スケジュールは明八とカリタスに絞るチャレンジ路線に舵を切る事となりました。

〜2月 東京・神奈川受験〜 2/1はam明八、pmカリタスのダブルヘッダー。しかし、残念ながらどちらも不合格。明八は頼みだった算数で取りこぼしがあり、カリタスでは算数は上出来だったものの、国語が足を引っ張ってしまいました。 2/2 はpmにカリタスを再受験。結果は、またも不合格。今度は算数も国語も両方とも力を発揮できず惨敗。当初の予定ではカリタスの結果によらず、2/3amに明八の再チャレンジをする予定でしたが、ここで娘が「明八は2/5に再チャレンジできるけど、カリタスは2/3が最後だからカリタスをもう一回受けたい、リベンジしたい」と強く主張してきました。親としてはカリタスに行けなくても教育システムの整った開智所沢に進学ができたら御の字、と思っていたのですが、彼女はそうは思っておらず、受験する中でカリタスへの想いが高まっていったようでした。彼女のその想いを知り、2/2の夜中にカリタスの再出願をしました。 迎えた2/3amのカリタスの再受験。ここでエンジンがかかったのか、自分の力を発揮することができたようで、試験終了後は2日目とは打って変わって満面の笑みで会場から出てきました。その姿を見られただけで『この子に中学受験にチャレンジさせて良かった』と心から思えました(試験後、親子共にあまりに嬉しかったので、まだ受験が残っているのに娘お気に入りのイタリアンでランチをし、プチ打ち上げのようになってしまいました)。そしてその夕方、この合格発表は今回の中で最も緊張の瞬間となりました。結果は、見事合格。娘の思いが実を結び、家族で大喜び。娘は以降の受験対策で鼎にいたため、すぐに電話連絡をし、電話越しで娘と家族の興奮を分かち合おうとしましたが、なぜか彼女は至って冷静な様子。本当に掴みどころのない娘です。 2/4は鼎で明八対策をしていただき、2/5pmに最後の明八チャレンジへ。4科目総合型試験ということで、娘にとってはこれまでにほとんど取り組んだ事のない形式の問題でしたが、全力は尽くした様子で、試験後の問題用紙には諦めずに戦った形跡が見られました。結果は残念ながら不合格でしたが、初志貫徹で最後まで本気でチャレンジしてくれました。

(受験を振り返って〜鼎で得たもの〜) 鼎を退塾した頃の娘は本当に無気力で中学受験ができる状況ではないと真剣に考えていました。ただ、彼女が自ら鼎に戻りたいと意思表示をしてから、すべての出来事を自分事として捉えられるようになった気がします。親が焦って『成功体験を・・・』などと過度に舞台を用意する必要などなく、レベルはともかく、自ら道を定めて努力し、その努力は報われるのだということを経験してくれました。2/3のカリタスへの路線変更も単なる明八チャレンジ回避という動機だけだったとしたら、受験倍率や彼女のレベルからしても合格は難しかったと思います。あの無気力だった娘がどの学校であれ『ここに受かりたい』と意欲的に受験できるまでに成長できたことも中学受験の大きな収穫の一つです。間違いなく娘にとっては鼎という特別な(特殊な?)学舎でしかこの成長は成し遂げられなかったと断言できます。兄も含め、他塾では到底手に追えない子供達に対し、時には親以上に真剣にサポートしていただいた鼎進学教室の先生方には感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。今度は中学に入ってからまた次のステージへと成長する彼女の姿を見守ることを楽しみにしたいと思います。

Fさんより 穎明館中学校進学

私は5年生で鼎に入りました。 最初、冬なのにタンクトップを着ている男の子がいたり、モヒカンの先生がいたり、私の学校にはいない人たちがいて(ここは動物園なの!?)と思いました。

私は計算が苦手で分数の計算が出来ない時に横田先生が計算のやり方を教えてくれたり問題の解き方を教えてくれたりしました。でも組分けの成績は伸びないまま6年生になりました。理科と国語の先生が変わりクラスの態度が悪く理科の岡本先生に怒られてばかりでしたが理社会テスト大会はいつもTOP10に入るようにしていました。ですが、受験のストレスでゲームをしていたり、国立駅で渡邊先生を見かけても声をかけずに無視をしてしまい最後まですごくいじられました。最後の合不合テストは偏差値40ほど、面談では埼玉入試から全部×と言われるほどヤバかったのです。そして1月10日西武文理を受けました、結果は○、合格発表は緊張してパソコンのクリックができないほどでした。家族からはこの合格は奇跡と言われるほどでした。1月14日大宮開成、受験会場から出たときに(やばい、絶対落ちた)と思いました。結果は×、この結果で私の気持ちは変わりました。

入試1週間前、毎日鼎に通い過去問をひたすら解きました。 私は穎明館か工学院を合格できたら成蹊の入試を受けられると言われ、成蹊を受けるために頑張っていました。そして2月1日朝5時起きて鼎に行きます。鼎でやった計算はとても効果があり頭が働き眠気が覚めた気がしました。1日目の午前は穎明館、午後は共立女子第二です。穎明館の結果は×、合格ラインまであと16点でした。私は悔しくてたまりませんでした。算数の計算間違いさえしなければ合格していたからです。ですが共立女子第二は○でした。2日目、午前中は穎明館、午後は工学院です。午前中の穎明館は問題が難しく、理科できのこの問題が出て焦りました。そして終わった時に大宮開成と同じ気持ちで会場を出てきました。ですが気持ちを落ち着かせ工学院へ向かいました。工学院が終わり鼎に戻ると鼎の先生から私は合格最低点で合格したという知らせを聞き私は嬉しくて声が出ませんでした。家に帰ると家族と一緒に嬉しくみんなで泣きました。午後9時に工学院の発表で○でした。そして私は成蹊の入試を受けることが決まりました。3日は成蹊の入試対策で過去問を解きました、理科も社会も算数もボロボロの点数で合格は難しいと言われるばかりでした。4日受けた成蹊の合格は×でしたが、横田先生から算数は力を出せたと言われ嬉しく社会も渡邊先生のお陰で練習より発揮でき成蹊を受けれて良かったと思いました。これで私の鼎生活は終わりです。鼎の先生たち2年間ありがとうございました。

Fさんのお母様より

近所にある焼鳥屋さんの店主さんから、中学受験をするなら「鼎」とお勧めされ出会いました。当時はenaに通塾していましたが、enaの塾長さんにも鼎なら大丈夫!と背中を押され5年生の春から転塾することに。最初は週3日の長い授業時間、個性的なクラスメイト、個性的な先生達と環境の変化に慣れるまで時間がかかりました。算数では初歩的な計算が出来ず、横田先生の特別補習の提案までありました。日々の課題や組分け対策で、とりあえず「やる」「こなす」の繰り返しでした。成績は目立った変化がないまま6年になり、あっという間に時間は過ぎ去りました。

6年生後半の面談では、娘の成績と意欲が低すぎてお通夜状態。行くのが憂鬱だったのを思い出します。そんな娘ですが理社テスト大会だけは気合の入り方が異常で常にクラスのトップでありたいと燃えていました。その情熱を受験へと向けられたらと期待していましたがスイッチが本格的に入ったのは埼玉受験直前です。1月始業式から学校を休み鼎生活になりました。最後の面談では1月入試は全部×だと思いますと渡邊先生に言われ、1/10西武文理が終わり鼎に顔を出した時に渡邊先生が「娘さん、社会できています!多分大丈夫」と言ってくださり真っ先に私が号泣してしまいました。直前でも必死な姿を見ていたので、なんとか合格をみせてあげたい親心です。その後1/14大宮開成はダメでしたが、本人は悔しがり2月本番へとスイッチが切り替わりました。

最後の模試まで偏差値30から40前後の状態で先生達をとても困らせたと思います、本人が第一志望の穎明館へ行きたい!そしてチャレンジ校である成蹊の試験を受けたい!!という気持ちがとにかく強く、先生達と娘の信頼関係が良い状態で2月本番を迎えられました。2/1穎明館は不合格、計算が合っていれば合格だと言われ凹む娘。本人も出来た自信があっただけにショックは大きく何とか気持ちを持ち直して2/2穎明館リベンジです。1日目より受験者数が多い2日目、まず人数に圧倒され、さらに前日出来た自信があっただけに今日は出来なかったらどうしよう・・という不安から顔色が悪くなる一方。親としてできることは、箱根駅伝の監督のように励ますのみ!ただ応援がうるさかったようで娘からは「恥ずかしいから静かにして」と言われました。試験が終わり、やはり前日の方が手ごたえあったとの事で落ち込み気味でした。合格発表の時間、鼎にいる娘から連絡が来なかったのでダメだったのかなと自宅で確認をすることに。まさか番号があるとは思っていなかったので番号を見つけたときは号泣、主人は何十回も番号と受験票を確認していました。

2/1と2/2は両日とも併願校の受験が午後からあったので気持ちを切り替えたり休める環境を作ってあげたり主人と全力でサポートしました。 2/4娘が憧れた成蹊受験をすること出来ました。娘の成績からではかなり厳しいと言われ続けていましたが、本人が受けたいと強く願い叶った受験です。前日は予定が空いたので、鼎にて成蹊対策をしてくださり問題は難しいけど解くのが楽しいと娘は言っていました。結果は悔しく終わりましたが娘なりのケジメがつけられたと思います。 2年間。娘を支えご指導くださった先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。他の塾にはない先生一人一人の熱さが大好きです、ありがとうございました。

Hさんより 穎明館中学校進学

私は4年生から鼎に通っていました。受験が終わった今、鼎に通っていて良かったと感じ、また鼎に通っていなかった自分は想像ができません。6年生になって塾が毎日のようにあり、友達と遊べない日が多くなって羨ましい気持ちでいっぱいでした。でも第一志望校に通っている自分の姿を想像するたび「頑張らなければ」と思うことができ一度も受験をやめたいと思ったことはありませんでした。

私は4年生から入ったにも関わらず、あまり成績が伸びないまま6年生になりました。6年生になってもあまり成績が伸びず毎日のように先生に怒られていました。 1月の入試で私は開智所沢を受けることになりました。しかし自分ではこの成績では受からないと思い焦り始めました。1月10日の開智所沢の入試はテストが終わったときにあまりできた実感がわかなく、案の定鼎で採点してもあまりいい点数ではありませんでした。結果は×でした。初めての入試で×をもらいショックを受けたと同時に、一緒に開智所沢を受けた人は全員◯をもらっていたので焦り泣いてしまったこともありました。 12日に西武文理を受け初めての◯をもらうことができました。その勢いで15日の開智所沢も◯をもらうことができました。とても嬉しかったです。

2月1日の穎明館を受けることになり、算数を成瀬先生に教えてもらうようになりました。そのクラスでは、私が一番算数ができなくて毎日怒られっぱなしでした。 2月1日の穎明館の入試で、国語しか手応えがなく試験が終わったあと「明日も穎明館を受けなければ」と思ったまま鼎に来て採点をしたら算数が意外とできていました。横田先生から◯だと聞いたとき嬉しくまた安心しました。でも私には成蹊に合格するという目標があったので2月4日に受けました。結果は×でした。しかし私は受験してよかったと思いました。またここまでこれたのは鼎の先生のおかげです。鼎の先生、本当にありがとうございました。

Hさんのお母様より

終わってみればあっという間でした。 本当に親子ともに充実した真剣な時間を過ごすことができ先生方には感謝しかありません。 そして合不合判定では最後まで20%から35%の合格確率しか出なかった希望の学校に合格することができました。これも先生方が根気強く真剣に、子供を信じて指導してくださったおかげだと頭が下がります。ありがとうございました。

娘は小学4年生の時に入塾しましたが当時は中学受験を見据えていたわけではありませんでした。それでも塾は楽しい!と4年5年と通塾し、成績も上がるでも下がるでもなく、なんとなく中学受験の波に乗っかりながら過ぎていきました。こうして昨年2月から始まった6年次、ようやく私たちも中学受験の意義を見出し、本人も受験したいというはっきりした意思を持ってスタートしました。が、そうは言っても本人はまだまだ遊び優先、塾の宿題も100%やらず、今までと何ら変わらずの日々…。模試の結果も変わらず、娘がこの先受験を勝ち抜くイメージが全くわきませんでした。一度は決めたものの、辞めるなら早々に辞めた方がいいのではないか?と親の方が逃げ腰になることもありました。一番真剣だったのは先生方だったと思います。面談の度に各教科4人の先生が顔を連ね、真剣に娘の今のこと、将来のこと(中学受験のその先のこと)を考え、長い時には2時間以上話してくださいました。

やっと夏期講習終わるころから娘の気合が伝わってくるようになりました。9月10月と月日を追うごとに塾で過ごす時間が増えていき、遊ぶことしか考えてなかった子ががむしゃらに取り組んでいる姿に成長を実感しました。しかし結果はなかなか出ず、12月最後の合不合テストでも合格確率は変わりませんでした。それでも先生方は最後の最後まで合格を信じ、娘の力を信じ指導してくださいました。絶妙な飴と鞭でモチベーションを高めてくれて、娘の方も冬期講習以降は私たちが感動するほどの頑張りを見せてくれました。

こうして1月埼玉受験に始まり、2/1の志望校、考えてもいなかった2/2・2/4のチャレンジ校まで疲労と緊張でいっぱいだった中学受験、最後は笑顔で終えることができました。 今、鼎進学教室で中学受験に挑戦して本当によかったと感じています。偏差値で分類することなく、塾生一人一人にとことん心を通わせて対話をして、合格がゴールではない その先の将来まで考えてくれて、確固たる信頼関係を築いてくださったからこそ苦しい時期も乗り越えることができたと思います。(その証拠に娘は一度たりとも辞めたいと言ったことはありません。)また受験を通じて人としても大きく成長できたと感じています。 本当にこの出会いに感謝するとともに、今後も鼎スタイルを変えることなく多くの子供たちを送り出していただきたいと願っております。

Iさんより 穎明館中学校進学

私は5年生から鼎に入塾しました。最初はとにかく塾に行きたくなくて無理やり行かされていたのですが、他の塾とはちがい先生が信頼できたので自分から塾に行くようになりました。しかし、塾に行くのはいいのですが先生に言われたことは聞き流し、授業もまともに受けないただのクソチビでした。私はそのまま5年の1学期をすごしたのですが2学期からは親に怒られてしぶしぶ宿題をやるようになりました。宿題をやるようになり授業についていくことができるようになりましたが成績はあまり上がらず下がることの多い結果でした。その成績がまだヤバいと思いはじめたのは6年の夏期講習が終わってからでした。入試問題をといていてあまりにも点が取れずあせったので、授業をちゃんときいて理解して復習ノートをつくるようになりました。2月の埼玉入試で西武文理は合格したのですが、大宮開成はボロ負けでこのまま1月入試を受けたら全部不合格になると思い、くやしくて少しでも知識の穴をうめようとしました。そして1月入試をむかえました。私は1日に第一志望を受けるのではなく確実に合格を取っていく作戦でいくことになりました。1日は白梅とカリタスを受け、白梅は合格したのですがカリタスが不合格だったので正直落ち込んで2日目の穎明館が心配ですごくあせりました。2日の穎明に行く前に鼎の先生たちに「あせるんじゃねえ」とたたかれてあせっている自分に気付きました。

穎明館から鼎に帰ってきて自己採点をしたら算数の計算問題がまちがっていて不合格だと思いくやしくて泣いていました。泣いていたら先生がやってきて穎明館合格と教えてもらい、信じられなくて号泣しました。くやしかったけどうれしかったです。その後、富士見と成蹊を受けたのですが、どちらにも不合格でした。富士見はボロ負けで成蹊は算数の文章の読みまちがえとかけることやることをしっかりかかなかったので不合格になり、もっとやれることがあったなと思ってあとでくやしさがあふれだして、モヤモヤしたまま終わりました。私は受験をとおして、やることをやり切ってこないとあとで後悔しないようにすることが大事で、鼎に入塾してよかったなと思いました。 鼎の先生方、いままでおせわになりました。本当にありがとうございました。

Kさんより 穎明館中学校進学

私は、5年生の春から鼎に入りました。最初の頃は、金髪モヒカンの渡辺先生が先生たちの中で一番怖かったです。 5年の時は受験という事を全く考えてなく、友達と遊んだりゲームばかりしていて、塾の宿題をほとんどやっていなかったので、個人面談の時に先生たちにいろいろと注意されたらしいです。そして、5年生の夏に明治大学付属明治中学校を見に行き気に入ったので5年生の後半くらいまでは第一希望にしていました。けれど今の成績だと明明には行けないことが確定だったので、いろんな学校を見にいきました。その中で1番良かったのが、成蹊中学校です。部活動も私の趣味に合ったものがあったし、生徒たちの明るい雰囲気を見て楽しそうな事がたくさんありそうな学校だなぁと感じたからです。けれど、穎明館も良い学校だと感じていて、成蹊と穎明館どっちがいいか考えていました。そこで、もう一度成蹊の文化祭に行ってみたところ、やっぱり成蹊の方が良いなと思い、成蹊を第一希望、穎明館を第二希望にしました。

埼玉入試がやってきました。初日は大宮開成を受けましたが、緊張していてあまりいつもの調子が出ず、鼎に戻ってから自己採点をしたところ算数の点数が一番ヤバく、これは落ちたなぁと思いました。次の日の合格発表では予想通り、×でした。なので、次の大宮開成でリベンジをしようとおもいました。12日の西武文理は〇でした。14日に大宮開成のリベンジをしました。前回よりは達成感があり、自己採点でも前よりは良かったのですが惜しくも1点差で×でした。すごく悔しかったので、2月入試ではこんな事がないようにがんばろうと思いました。15日の開智所沢は受かったので嬉しかったです。

2月入試がやってきました。1日に成蹊、2日に穎明館、4日に成蹊を受けました。1日の成蹊は理科の時間配分をミスしたり、算数で焦って数字を見間違えたりして結果は×だったので4日の成蹊では時間配分に気を付け、数字を見間違えないようにしようと思いました。2日の穎明館は〇だったのでものすごく嬉しかったです!そして、4日に成蹊を受けて、時間配分や数字の見間違いに気を付けましたが結果は×でした。でも後悔はなかったです。 成蹊は受からなかったけど、今は穎明館で頑張っていきたいと思っています。 怒られたりいろいろな事があったりした鼎はなんだかんだ言って楽しかったです。鼎の先生が最後まで熱心に見てくれたので穎明館に合格できたのだと思います。鼎の事を学校の後輩の友達に伝えたいと思います。 2年間本当にありがとうございました。

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